見様見真似

 

 

『《最後の食事》に何を食べますか?』と問われて、どう答えるかを、今考えています。大体、どなたも答えは決まっている様です。《おふくろの味》と、ほとんどの人が答えるはずです。いえ、家内の料理が美味しくないのではなく、感情的な《郷愁》が、そう答えさせるのでしょう。

「かた焼きそば」かな。中華麺を油で揚げて、それに独自の「かけ餡」をかけてくれたものでした。「ハンバーグ」かな。肉屋さんで牛肉を挽いてもらって、人参と玉ねぎとニンニクをみじん切りにして、パン粉と卵で形を整えて、フライパンで丁寧に焼いてくれたものでした。

先日、「ちらし寿司(母のふるさとでは「バラ寿司」と呼んだでしょう)」を作ったのです。干し椎茸、高野豆腐を水に戻し、貝柱、小竹輪を細かく切る。それをアゴ入りだしと醤油とみりんに日高昆布で煮たもの。黒酢を日高昆布を入れて蜂蜜で煮て、寿司飯を作る。そこに煮た具材を入れて混ぜ、シラス、サヤエンドウ、錦糸卵、刻み海苔をかけたのです。

これって、団扇(うちわ)で寿司飯を冷ます手伝いを母にさせられて、何度も見ていた具材と手順と同じなので、昨日が二度目の料理でした。家内は、『紅しょうががないわ!』と注文するほどになっています。見様見真似で作ってるのですが、お袋の味には程遠いようです。

カレーも独特の味でした。石油コンロを使って、手際よく料理していたお袋は、割烹着を着ていたでしょうか。五人の子(親爺も入ってです)の三食の世話を、一言も文句を言わないで、喜んで世話をしてくれたのです。洗濯機のない頃は手洗いで、六人分を洗って、すすいで、干して、畳んで、仕舞ってくれていました。梅雨時はどうしてたんでしょうか

娘時代に、「今市小町」と言われるほどだったそうで、甲州街道沿いの時計屋のオジさんが、仕事をする手を休め、口をポカンと開けて、道行く母に見惚れていたほどです。様々な思い出の光景や味は、いまだに鮮明です。華南の街の最高級のホテルの名食飯店で、ご馳走になった料理も、アメリカの知人が接待してくださったディナーよりも、やっぱり《おふくろの味》に勝るものはなさそうです。

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