安心

 

 

天野貞祐(ていゆう)、吉田内閣の文部大臣をした人で、「獨協大学」の初代学長を歴任された教育者で、政治家です。この大学は、学校法人の「獨協学園」に属しています。この他に、「獨協医科大学」を経営していて、家内は、この大学の病院に入院していたのです。

この学園の歴史は、「西欧の文明文化との積極的交流を図るために明治14(1881)年に設立された獨逸学協会を母体として、ドイツの文化と学問を学ぶ目的のもと、明治16(1883)年に獨逸学協会学校(旧制獨協中学校)が開校しました。これが本学園の源であります。」と、学園の案内にあります。

医科大学に開校については、「昭和48(1973)年、明治初期の学校設立の経緯、並びにその後医学界へ多くの人材を輩出してきた実績や伝統などから医学、医療の原点にかえり医学の進歩や社会の変化に対応し得る医学教育を念願して獨協医科大学を設立いたしました。その後、付属施設として獨協医科大学病院、附属看護専門学校、獨協医科大学越谷病院(現・埼玉医療センター)、更に附属看護専門学校三郷校を順次開設しております。」とあります。

この1月初めに、この病院の「総合診療科」で診察を受け、「呼吸器アレルギー内科」で検査や治療を受けている家内に付き添い、入院した家内を、毎日見舞いながら、受付、会計、投薬、病棟での治療の様子を、つぶさに見ながら感じたのは、患者の家族としての《安心感》と《満足感》でした。家内は、これまで順天堂大学病院、日赤広尾病院、朝霞台病院、板橋総合中央病院で診察を受けてきていますが、長期に関わって、治療を受けてきたのは、この獨協医科大学病院なのです。

 

 

『この病院は何かが違う!』と考えてみましたら、《ドイツの合理主義》なのではないかと思ったのです。営利だけでも、名誉のためだけでもない、置かれた地域の医療の《使命感》、治癒を願って、やって来る患者に施す医療の果たすべき《責任感》が明確なのではないかと感じるのです。徹底して、医師も看護師もリハビリの療法士も医療技師も、事務職も掃除をされる方から守衛さんに至るまで、患者に仕える姿勢が好いのです。

最先端の医療機材、ドクター・ヘリとともに、『心がある』のです。家内の主治医は、31歳でしたが、仕切りに《カンファレンス》の意見を聞きながら、治療判断をしていると言われていました。個々の患者さんの病状を、会議をしながら、経験豊かな医師陣の意見を求めているのです。『素人なんだから黙っていなさい!』なんて言いません。自分の母親への治療について、自分の意見や願いを熱く語る子どもたちの声に聞いてくれていました。

友人のお孫さんの早産、今に至るまでの未熟児のケアー、そのお母さんのお病気に、治療とケアーに当たってくれて、大きな感謝があって、家内の加療と入院を勧めてくれたのです。友人自身も、10年前の肩関節のボルトの除去と人工関節をつけるために、その治療と手術のために、先ごろ入院され、今は退院されておいでです。そのお孫さんは、健康で、幼稚園の年中さんなのです。何か、この病院の《ファン倶楽部》が、ここにある様です。

そんな病院で、今、外来の担当医に、家内は診て頂いているのです。家内が安心して受診しているのが、また、私の安心でもあります。多くの友人、家族、親族が支え、激励し、見舞ってくれています。人に恵まれた家内が、ここにいます。

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紫雲木

 

 

ロサンゼルスに咲く、紫の木花の写真を、長女が送信してくれました。春5月から6月に咲く、「ジャガランダ」と言う花でしょうか。南米のアルゼンチンが原産国で、和名を「紫雲木」と言います。高貴な紫色で、素敵な花ですね。

アルゼンチン渡航の夢を叶えようとしていた、17の頃を思い出します。アンデス山脈のブドウに産地の「メンドサ」に行きたかったのです。でも安易な道を選んだのですが、その選択は正しかったのかも知れません。開かない戸を無理にこじ開けなかったからです。

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