「群来」、これを読めるでしょか。〈ぐんらい〉とも読みますが、〈くき〉なのだそうです。“大辞林”によりますと、「(北海道南部や東北地方で)産卵のためにニシンが大挙して押し寄せること。→鰊群来」とあります。北海道民謡に「ソーラン節」があります。p
ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン
ソーラン ソーラン ハイハイ
鰊来たかと かもめに問えば
私ゃ 立つ鳥 波に聞け チョイ
ヤサ エ~エン ヤーサーノ
ドッコイショ ハ~、ドッコイショドッコイショ
今宵一夜は 緞子の枕
明日は出船の 波枕 チョイ
男度胸なら 五尺の体
どんと乗り出せ 波の上 チョイ
波の瀬の瀬で どんと打つ波は
可愛い船頭衆の 度胸試し チョイ
踊る銀鱗 かもめの唄に
お浜大漁の 陽が昇る チョイ
漁場の姉コは お白粉いらぬ
銀の鱗で 肌光る チョイ
姉コどこ行く 鰊場通い
髪の乱れが 気にかかる チョイ
「やん衆」と呼ばれた人たちが、〈ニシン漁〉に従事しながら歌った歌が、この「ソーラン節」でした。この「ニシン漁」について、p『近世後期から近代における北海道の基幹産業は漁業であり,その中心をなしたのがニシン漁であった.ニシンの粕は北前船により,西日本を中心とした日本各地に運ばれ,魚肥として綿や菜種などの商品作物へ利用された.太平洋戦争中,及び戦後における食料難の時代には,重要な食料として求められるなど,ニシンの漁獲量が皆無になる1960年ごろまで,需要は高かった.さらに,技術の発展や漁場の拡大により,大量の労働力が求められた.近世にはアイヌ民族を使役し,アイヌ民族が減少すると,本州からの出稼ぎ者を雇うことで成り立っていた.ニシン漁を介して多くの人々が移動し,その影響力は大きかった』と解説されています(「ニシン漁の盛衰と漁民の活動」から)。
小田急新宿駅の中央改札の近くに、「立ち食い蕎麦」の店があって、そこを通るたび、いえわざわざ、そこを通って、そこで、「ニシン蕎麦」をよく食べました。「身欠きニシン」を煮付けしたものを、蕎麦にのせて、フウフウ言いながら、真冬に食べるのが特に美味しかったのです。
子どもの頃に、母がよく、このニシンを調理して食べさせてくれたのです。ニシンが大漁だった頃は、庶民の味だったからでしょうか。その北海道の漁場(りょうば)には、「鰊御殿」が幾棟も建つほどの好景気な時代があったそうです。近年、またこの「群来」が見られるそうです。小田急新宿駅では、今も、あの「にしん蕎麦」が食べられるのでしょうか。
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