5月の広島県東広島市黒瀬町の原野や水辺に咲く、綺麗な花です。「アリアケスミレ」と「シラン(紫蘭)」です[☞HP/里山を歩こう]。
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「落ちこぼれ」茨木のり子
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果ではなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
女性の強さ、いえ、『女であるからこそ、強く生きなければならない!』、そう言った決意を感じさせる詩ではないでしょうか。行くのが好きな学校に〈行けない〉、みんなが学んでいるのに〈学べない〉、日柄、敷かれた布団の上で、天井を見つめて、節穴に吸い込まれそうに、眩暈(めまい)を感じながら過ごしてたのを思い出します。
母につけてもらったラジオから、「名演奏家の時間」のクラシック音楽の曲が流れていました。「昼の憩い」の地方の知らない街や村の通信員の報告、「尋ね人の時間」の消息を問う案内、三遊亭金馬の「落語」、広沢虎造の「次郎長伝」、そんな番組を、微熱でウトウトしながら聞いていた日々がありました。
まさに「落ちこぼれ」の小学校の前半期でした。元気になって学校に行くと、体力もないのに、じっと座っていられなくて、級友たちにちょっかいを出すのです。それで教室の後ろや廊下や校長室に立たされたりしていて、『ちっとも落ち着きがない!』というのが、学期ごとの通信簿の所見でした。
たった一度、褒めてくれたのが、おばあちゃんの内山先生でした。祖母を知らない私にとっての初めての老人でした。退職前だったのか、子どもの目に老人に見えたのでしょう。病欠児で、学習遅延児で、落ちこぼれの私の最高に輝かしい唯一の記憶なのです。小四の何時頃からでしょうか、健康が回復し、父や兄ゆづりの運動神経で、跳び箱なんかで、『おい、広田、跳んでみせろ!』と担任に言われて、試技をするほどになっていったのです。
生きていれば、誰にも可能性にあることが証明されたのです。自信も湧き上がってくるし、『生きていていいんだ!』と思えるのです。それって「華々しい意思」なのでしょうか、ね。
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