書いた試しがないのが、「日記」です。小学校の夏休みの宿題にもあったと思いますが、多分、私は提出していないのです。その日その日のことを、綿密に記す人と、簡潔に記す人がいます。そして、私の様に、記憶の中にだけ止めておきたい人、人は多様です。
「日記」に記すのは、次の様な項目だそうです。
1.月日
2.天気
3.その日の主な出来事
4.人との関わりと約束
5.所感
6.書簡の交信記録
7.本の読後感
8.計画と予定
ポルトガル人のルイス・フロイスは、日本滞在中に「日記」を記していて、日本の歴史の編纂の資料として、重要な証言を残している様です。1586年に、近畿、中部地方で起きた「天正地震」について、その「日記」をもとに書き上げた、「日本史」に次の様に記されてあります。
『ちょうど船が両側に揺れるように震動し、四日四晩休みなく継続した。その後40日間一日とて震動を伴わぬ日とてはなく、身の毛もよだつような恐ろしい轟音が地底から発していた。若狭の国には、海に沿ってやはり長浜(☞TAGAHAMAとあったそうですが、TとNと勘違いしていたかも知れません)と称する別の大きい町があった。揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が遠くから恐るべきうなりを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。(高)潮が引き返すときには、大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海に呑み込まれてしまった。』
織田信長の時代、戦国の世に起こった「大地震」の記録です。今の時代の出来事は、映像で残されていくのでしょうが、やはり、「日記」は、書き手の主観が入り込んだり、勘違いがあるという弱さはあっても、歴史の概要は伝わってきそうです。このフロイスが、信長と秀吉を、次の様に記しています。
『信長は、「・・・睡眠時間は短く早朝に起床した。貪欲でなく、はなはだ決断を秘め、戦術にきわめて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。・・・彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、崇拝、ならびにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。」。そして秀吉は、「・・・彼は自らの権力、領地、財産が順調にまして行くにつれ、それとは比べものにならぬほど多くの悪癖と意地悪さを加えていった。・・・彼に対して憎悪の念を抱かぬものとてはいないほどであった。」』
けっこう偏見が見られそうですが。鋭い人間の観察眼を持って、正直に人間像を捉えています。
”blog“とは、『「WebにLogする」のウェブログ (weblog) をブログ(Blog)と略称する。』のだそうですが、これって「日記」とか「日誌」の部類でしょうか。子どもや孫たちに、自分の考え方や生活史や価値観を伝えたいので、次男の勧めで始め、続けております。
(フロイス直筆に「日本史」です)
.