中国語には、多くのことわざがあります。例えば、「不耻下问(不恥不問)」です。
この意味は、『年令や地位が下の者に教えを乞う事は、恥ずかしいと思わない!』という意味です。解説は会話や会議の中で、自分がわからない時は、体裁を気にせず素直に聞くことが大切であるという戒めのようです。このことわざの出典は、「論語」の中に出てくるそうです。次の様な解説があります。
孔子の弟子の子貢(しこう)が、師の孔子に次の様に質問をしました。『衛(えい)の国の儀式を行う芸人のおくり名に、文という字が ありますが、これはなぜなのですか?』と聞きますと、孔子は、『彼は頭がよく学問が好きで 、自分よりも目下の者に質問することを恥ずかしいと思わなかったら!』と答えました。
日本で会議すると、若輩な経験の浅い人の意見を、聞こうとしない傾向が見られます。『嘴の黄色い者は黙っておれ!』という不文律があるからです。ほとんど無いですが、求められれば、言うことはあっても、率先して具申などしたら、《生意気》とか《でしゃばり》というレッテルをつけられてしまいます。
ところが、中国での会議では、年配者が、若者にも、進んで聞こうとするのだそうです。そう言った場面に出会ったことはないのですが、一般的に、子どもでも、大人の会話に割って入って、自分の考えを、堂々と述べているのを、よく見かけます。小学生が、自分の意見を話し始めても、『まだ子どもだから黙っていなさい!』と静止することは、ほとんどありません。
「長幼の序列」の社会の様にみられますが、そんな素晴らしい社会なのです。学校を出たばかりの私は、どこの県だったか忘れてしまったのですが、研究所の代表者として、研修会の準備の会議に行ったことがりました。会議の間に、『研究所の意向はいかがですか?』と意見を求められた私は、何か言ったのです。それは、研究所を代表した者としての発言でしたから、受け入れられたのでしょう。
多分、『生意気な若造め!』と思っていた理事たちが多かったのでしょう。それなのに、<親方日の丸>の私は、臆面もなく話したのを覚えています。日本の社会は、年齢的な序列社会でしたが、今でも同じでしょうか。三十代や四十代の学長や社長など、経営者の息子娘以外は、ほとんどんど知りません。
私の知り合いの方は中卒で、仕事のできる人でしたから、管理職になっていました。大卒の自分の部下に、『この字、何て読むの!』とか、『どういう意味?』と平気で聞ける人でした。『辞書を引くよりも、その方が早いから!』と言っていました。学歴の低さに臆することのない、潔さがあって、素敵な人でした。高学歴の部下にも、よく慕われていました。こう言うのって、日本では例外なのでしょうね。
.