島崎藤村が、「椰子の実」を作詩したのが1898年でした。民俗学者の柳田邦男から、その椰子の実が流れ着いた、愛知県伊良湖での話をもとに、詩作したと言われています。それに大中寅二が作曲をしたのです。
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
南洋の島から黒潮に乗ってやって来て、漂着した椰子の実って、どんなものなのだろうか、私も興味津々でした。周りを海に囲まれ、海洋民族の末裔であり、日本海軍の家系の父から生まれた私は、海の浪漫に憧れていました。そして、一度、椰子の実を割って、そのジュースを飲んでみたくて仕方がなかった日を覚えています。
四年ほど前に、ショッピングモールが近くにでき、日本料理店の店長と知り合って、わが家にもやって来る様になりました。この人が、引き抜かれて、「椰子营yeziying」という海南島で飼育された鳥肉の鍋の店の店長になったのです。彼に誘われて、そこで食べた鳥肉鍋が美味しく、「椰子の実」のジュースもサーヴィスしてくれて飲んだのです。
もちろん紙パック入りのジュースqが売られていて、飲んだこともあったのですが、皮を綺麗に剥いた実物に、小さな穴を開けて、ストローで飲んだのは初めてでした。先週、やって来た息子夫妻と、そこに昼食に行ったのです。二人とも喜んでくれました。椰子のジュースの中に、鶏肉や野菜などを入れ、炊き込みご飯もついているのです。
そういえば、柳田邦男が拾った椰子の実が、流れ出した元かも知れないシンガポールで、椰子のジュースを飲んだこともありました。南方では、子どもたちが木を揺すって、実を落として、鉈で割ってもらって、そのジュースで渇きを癒していたのでしょうか。この歌を思い出してしまい、口ずさんでみました。
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