木蓮

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この街の旧市街と新市街を分ける様に流れる川の岸(江滨jiangbing)に、いくつも公園があります。私が、よく散歩する所にも、「南公園」があって、そこには遊歩道の脇が、綺麗に整備されています。季節の移り変わりにそって、花が咲く様に、樹木や草花が植えられてあるのです。一昨日散歩した時に、「木蓮(モクレン)」が、紅白に花を見事に咲かせていました。春の訪れを告げていました。
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なんのその

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この十数年、つくづく思うのですが、この写真の様に、「ピョンチャン冬季オリンピック」の若い女性陣の活躍振りを見て、《日本女子》が、活き活きとしていて、圧倒されています。スポーツの世界だけではなく、日本という"システム"で、大分伸び悩みが見られるのですが、それもなんのそので、《女子力》が、多くの社会の分野で、男たちを凌駕しているのです。

われわれ男は、張り子の虎の様に、<空威張り>で、意気地がないのに、若竹の様にしなやかで、雪の中から花を咲かせる水仙の様に、寒風の中に芽を出し花を開く梅や椿の様に、踏まれても踏まれてもへこたれない雑草の様に、《日本女子》が素敵ですね。この手を振って力走する姿に、母や妻や娘たち思わされてしまいます。

昨年末、”ゴホンゴホン"と、図書館や書店の様に、昼も夜も咳き込んで1ヶ月を過ごした私に、寒さも厭わず買い物に出ては、『あれがいい、これがいい!』と言っては食事を作ってくれ、『大丈夫、大丈夫!」と、弱気になった自分を家内が励ましてくれました。威張っていた若い頃と、今や、全く逆転してしまいました。威張っていた、あの頃も、実は、<力量の差>を、密かに感じていて、その反動の<威張り>だったのです。最近は降参してしまい、ダンマリの私です。

娘たちも、<白人攻勢>の強い社会に出掛けて行って、学校で勉強をし、そこに残って仕事をし、結婚もし、結構不自由や差別を感じているに違いないのに、臆せずに、へこたれずにアメリカ社会の一員として生きています。これって家内の《強さの遺伝子》なのでしょうか。このスケート選手たちの様に、右や左に手を振って、問題を打ち払って、氷の上ではなく、異文化の社会の中を滑走している様に思えるのです。

そういえば、大怪我をして、病院に緊急移送されて、仮ベッドの上に横たわって、治療を待っていた母の事を思い出します。口を結んで奥歯をかんで、痛みに耐えていたのです。一言も痛さを口にしませんでした。初期治療のまずさで化膿してしまい、両足切断の危機があったのに、転院先の病院に、一年近くも入院したほどの大怪我でした。あまり幸せではない子供時代を生きて、《我慢》を身に付けていたからでしょうか、95歳まで、<日本システム>の中を、両足で立って力強く、その足で歩いて生きたのです。

そんな母似の私なのに、内面を受け継がなかったんだと思います。その弱さを家内にカバーされて、今日も生きています。もう家内と戦わないことにしているのです。時々、犬の<遠吠え>の様に吠えるのですが、<空威張り>で終わっています。歴然とした<力量の差>があります。よく人を訪ねたことがあるのですが、若い夫婦はご主人が、年配夫婦は遠慮がちな奥さんが、老夫婦は艶やかな奥方が主導権や実権を、完全に握っていました。男性陣は、年をとると、"ニヤニヤ笑い"をして、頷く(うなずく)ばかりでした。大陸の片隅で、私も、そんな今を生きています。はい。
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元宵節

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早春の花の便りがありました。春って、木の枝にやって来るのですね。中国もアメリカも日本も、春を告げる《花盛り》の季節に、いよいよ入っていく様ですね。オレゴンでは、梅の花も咲いている様です。さしもの寒さも、花攻勢に押しやられていくのでしょう。春には、みなぎる《力》があるからですね。こちらでは桜の花(きっと伊豆で咲き始める"河津桜"の様な早咲きの花かも知れません)も桃の花も咲いたそうです。
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今日は「元宵節yuanxiaojie(日本の"小正月"です)」です。赤いランタンに灯火を灯す風俗が残っていて、今夕、「江滨路jiangbinlu」の近くに住んでいる方に招かれていますので、「漫ろ歩き(そぞろあるき)」に、家内と出掛ける予定です。
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愚直

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「偏屈」とか「愚直」と言ったことが、時代の流行や進展に逆流するように思われています。こう言った言葉は、明治や大正、さらには昭和一桁世代を匂わせる、かび臭い事だとでも思われてている様です。それで、『昔にこだわり過ぎていて、進歩のない証拠だ!』と言って、若者たちから嫌われてしまうのです。確かに、昔は、時間の動きが緩やかでした。江戸から京都に旅をしても、自動車も新幹線もなかったのですから、歩くか、裕福な人が籠や馬や舟に乗るかだったわけですから、人の動きものんびり、ゆったりとしていたことになります。

時間も人の動きも緩慢な時代でしたから、急かされることなどありせんでした。かえって観察眼は鋭かったのではないでしょうか。芭蕉が、「奥の細道」に紀行の様子を記していますが、歩行者ならではの観察眼で眺めた事ごとが、そこに記されてあります。実に緻密に景色や人心の機微を眺めて看て取っています。以前、家内と新潟の上越に行った時、佐渡に目を向けて、芭蕉の読んだ俳句、『荒海や佐渡によことう天の川』を思い出していました。そんな発想は、何処から来るのだろうかと思うこと仕切りでした。俳聖と呼ばれる人でなければ、表現し得ないに違いありません。別な意味では、時間が、のたりのたりと流れていた時代の産物なのかも知れません。

これまで、どの道の《達人》も、滅入ってしまいそうな、長い下積み時代を過ごさなければなりませんでした。仕事場の片付けだとか、明日の準備だとか、先輩たちの下仕事をしなければならない時代だったのです。その積み上げられた、無駄のような時間や作業の間に、培われた何かが、そういった達人たちの職人としての高い質を作り上げてきたのです。

私たちの住む街に、アメリカ系のスーパーマーケットがあります。そこに、「鰻の蒲焼」が売られているのです。ちょっと値段が高くて、一年に一度ほど買ってしまうのですが、日本の物と、見ためも味も遜色がないのです。串焼きではありませんが、日本風の仕込みがなされています。この「鰻職人」は、『串差し三年!』と言った時代を経て、初めて焼き職人になれるのだと言われてきました。その修行を、後輩いじめのように取る方がいますが、『たかが鰻、されど鰻!』なのです。その道その道に、練達者に至る道は遠くて、険しいわけです。

ところが、現代は、「即性栽培のモヤシ」のように、一夜漬けの漬物のように、瞬時のうちに大成してしまう人がいます。松下幸之助や本田宗一郎のように、研鑽と努力によって、町の並みの商店主から身を起こしたのとは全く違うのです。そういった彼らの「愚直な努力」、「偏屈なこだわり」を、この時代の若者は『無駄だ!』と退けてしまうのです。そして、下積みなしで、数秒の間に、一人のサラリーマンの一生涯の収入の何百倍もの資金を手に入れてしまうのです。

日本の社会を安全に支えてきたのが、『愚直の努力です!』と、畑村洋太郎さん(「失敗学」の学者です)が、以前、ラジオで言っていました。小学校や中学を出て、生涯かけて、単純な作業をし続けてきた方々の、「愚直の努力」が、事故や災害や失敗を最小限にとどめて来たのだそうです。そうして来た彼らが職場から去ってしまった後、大きな人災事故が発生している様です。多くの先人が、「忍耐」や「自制」や「待つこと」を勧めています。これらは、時代錯誤なのでしょうか。芭蕉は、旅行中に、私たちが好んで食べる「鰻重」を食べたのでしょうか。

いよいよ弥生三月になりました。身も心もウキウキする様な季節の到来です。多くの人にとって、身辺の変化の時ですね。好い導きがあります様に願っております。
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