なんのその

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この十数年、つくづく思うのですが、この写真の様に、「ピョンチャン冬季オリンピック」の若い女性陣の活躍振りを見て、《日本女子》が、活き活きとしていて、圧倒されています。スポーツの世界だけではなく、日本という"システム"で、大分伸び悩みが見られるのですが、それもなんのそので、《女子力》が、多くの社会の分野で、男たちを凌駕しているのです。

われわれ男は、張り子の虎の様に、<空威張り>で、意気地がないのに、若竹の様にしなやかで、雪の中から花を咲かせる水仙の様に、寒風の中に芽を出し花を開く梅や椿の様に、踏まれても踏まれてもへこたれない雑草の様に、《日本女子》が素敵ですね。この手を振って力走する姿に、母や妻や娘たち思わされてしまいます。

昨年末、”ゴホンゴホン"と、図書館や書店の様に、昼も夜も咳き込んで1ヶ月を過ごした私に、寒さも厭わず買い物に出ては、『あれがいい、これがいい!』と言っては食事を作ってくれ、『大丈夫、大丈夫!」と、弱気になった自分を家内が励ましてくれました。威張っていた若い頃と、今や、全く逆転してしまいました。威張っていた、あの頃も、実は、<力量の差>を、密かに感じていて、その反動の<威張り>だったのです。最近は降参してしまい、ダンマリの私です。

娘たちも、<白人攻勢>の強い社会に出掛けて行って、学校で勉強をし、そこに残って仕事をし、結婚もし、結構不自由や差別を感じているに違いないのに、臆せずに、へこたれずにアメリカ社会の一員として生きています。これって家内の《強さの遺伝子》なのでしょうか。このスケート選手たちの様に、右や左に手を振って、問題を打ち払って、氷の上ではなく、異文化の社会の中を滑走している様に思えるのです。

そういえば、大怪我をして、病院に緊急移送されて、仮ベッドの上に横たわって、治療を待っていた母の事を思い出します。口を結んで奥歯をかんで、痛みに耐えていたのです。一言も痛さを口にしませんでした。初期治療のまずさで化膿してしまい、両足切断の危機があったのに、転院先の病院に、一年近くも入院したほどの大怪我でした。あまり幸せではない子供時代を生きて、《我慢》を身に付けていたからでしょうか、95歳まで、<日本システム>の中を、両足で立って力強く、その足で歩いて生きたのです。

そんな母似の私なのに、内面を受け継がなかったんだと思います。その弱さを家内にカバーされて、今日も生きています。もう家内と戦わないことにしているのです。時々、犬の<遠吠え>の様に吠えるのですが、<空威張り>で終わっています。歴然とした<力量の差>があります。よく人を訪ねたことがあるのですが、若い夫婦はご主人が、年配夫婦は遠慮がちな奥さんが、老夫婦は艶やかな奥方が主導権や実権を、完全に握っていました。男性陣は、年をとると、"ニヤニヤ笑い"をして、頷く(うなずく)ばかりでした。大陸の片隅で、私も、そんな今を生きています。はい。
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