『来年こそ一度行ってみたいところ!』

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 『来年こそ一度行ってみたいところ!』の一つは、北海道の「帯広」です。こちらで家内が知り合いになった方が、そこの出身なのです。家内が出かけていて留守の間に、夕食に招いて下さり、北海道の名物料理、「ちゃんちゃん焼」をご馳走してくださったのです。サシミで食べられるような生きの良い鮭をふんだんに使って、『これこそが北海道の味!』と思うような美味しさでした。異国の地での「ちゃんちゃん焼」に感動してしまいました。

 ご主人は、こちらでお仕事をされていますが、9月以降の騒動の中で、事業展開が大変なのだそうです。『リスクが高すぎること、どうなるか先行きが読めないので考え中です!』と、今度は、奥様が帰国され、家内もいないときに、数度、私の手料理にお招きした時の弁でした。大きな企業での仕事なら持ちこたえられるのでしょうけど、個人事業は、なおのこと悩んでしまうのでしょう。赤ちゃんが生まれて予防接種を受けるために帰国中に、ちょっとした〈男の弱音〉を聞いてしまったわけです。

 その奥様がこちらに戻られてから、相談されたのでしょうか、来年は引き上げを考えているとのことでした。彼らの可愛い「マゴ」を見た、おじいちゃんやおばあちゃんは、そばに置きたくて仕方が無いことも、ひとつの理由なのかも知れません。天津にいた時に、スイスから来ていた夫妻が、私たちを食事に招いてくれました。医者として、中国の大学病院で奉仕しようと、語学勉強をしたり、機会を待っておられる時でした。その招待の理由というのが、私たちの三番目のマゴが、アメリカで生まれ、その同じ時期に下の子を、天津の病院で出産していたのです。『マゴを抱きたいだろう!』と察して、家内と私を、家に招いてくれたのです。彼女は、上の子も中国で生んで育てていたのですから、さすがはお医者さんだなと思って感心してしまいました。今は北の方の大学で教えていることでしょうか。彼らのように「中国愛」に溢れている方々との交わりから、遠のいてしまったのですが、人様々に異国の地で生きているのを知って、自分たちも、存在の意味を自らに問い直したりしています。

 先日は、務めている学校の「晩餐会」があり、家内と二人で参加しました。ホテルのレストランでの会食で、中国料理というのは、驚くほどの種類があるのには、いつも驚かされるのですが、とても美味しく頂戴しました。その折、わたしの「査証」のことで、学校の責任の方が、ご心配くださっていて、そのお話もしました。先ほどの日本人経営者の話ですと、『ビサの発給がだいぶ難しくなっていて、私も来年は難しいかも知れないようです!』と言っていましたので、そんなことを察して、心配してくださったのです。もう60の後半に差し掛かっていますのに、未だ続けて働く機会を与えてくださる学校側のご好意に、心から感謝した次第です。

 帰国してから、どうなるかですが、家内も私も、こちらでの生活を続けたい願いがありますが、日本にも、しなければんらない大切な要件がありますので、そちらも考えなければならないようです。股旅の旅がらすなら、『なるようにならあな!』とでも言うのでしょうか。裕二郎なら、『明日は明日の風が吹く!』とでも言うでしょうか。また、上海から船に乗って帰国をしようと準備中です。ですから、今回は「帯広行き」はお預けで、来夏には実現したいと思っています。もちろん家内と一緒にですが。

(写真は、帯広に春を告げて咲く「辛夷(こぶし)」の花です)

『来年こそ一度やってみたいこと!』

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 『来年こそ一度やってみたいこと!』の一つは、「歌舞伎」を観に行って、役者の屋号である『中村屋!』とか、『播磨屋!』と言って、掛け声をかけてみたいのです。歌舞伎座でかけられるような本格的なものを観たことがないのです。よく父が、『昔から、歌舞伎役者を〈河原乞食〉と言って軽蔑されていたんだぞ!』と言うのを、子どもの頃から聞かされていたので、つい足が遠のいていたからです。こちらに来て、「京劇」、「川劇」、「闽劇」という中国の歌劇の観劇招待状をいただいて、観る機会がありました。相互に影響しあったと言われる「歌舞伎」を、そんなことで、一度観たくなったわけです。そして、腹から、『三河屋!』を屋号を呼んでみたいのです。

 そういった呼びかけというのは、中国の劇にはなかったと思います。みなさんは静かに観ているのです。でも、『何を言ってるのかチンプンカンプン!』と、こちらの方がいうのを聞いて、『じゃあ、分かりっこないよね!』と家内と言ったりしておりました。それでも、娯楽の少ないこちらでは、ずいぶんと人気があるようです。テレビでも専属チャンネルがあって、年寄りは、楽しみにして観ていると聞いています。

 長野県の大鹿村に伝わる「大鹿歌舞伎(農村歌舞伎)」を観た時に、ほんとうに『面白い!』と思ったのです。何時もは、みんなと同じようにはしない私ですのに、「おひねり(お金を紙に包んでひねってあるのでそう呼びます)」を、舞台に投げて楽しんでみました。演目は「藤原伝授手習鑑~寺小屋の段」でした。江戸時代の農村で、ご禁制でありながら、密かに残され楽しんでいた娯楽で、それを観た時に、『きっと、平家などの落ち武者が、この山岳地帯に流れてきて住み着いたけれど、「武士(もののふ)」の血が騒いで、鋤や鍬を持つ手を休めて、剣や槍で演じ、また観てきたのだろう!』と思わされたものです。終演の時は、大きな拍手をしてしまいました。

 何時か、また大鹿村に行って、この農村歌舞伎を見てみたいと思うのです。桜の春と、紅葉の秋、年二回の公演をしていて、映画にもなったことから、全国的な人気が出てきたのだろうと思います。長野県には、この大鹿村だけではなく、他の村でも、伝承されて、公演が行われていると聞いたことがあります。そいうえば、ずっとこの村に住んでいる人の顔をよく見てみると、『あの平清盛は、こんな顔をしていたのだろう!』と思ってしまうような、凛々しい男性がおられました。ここでは、役者が素人の住民ですから、屋号はないでしょうね。野菜を売っている店の主人が出てきたら、「やお屋」とでも呼んでみましょうか。きっと顰蹙(ひんしゅく)をかうことでしょうけど。

(写真は、「大鹿歌舞伎」の観劇風景です)