自転車で転倒して、右腕の「腱板」を断裂して、その手術のために入院した時、私は、同室の、同年で、同じ月に生まれた方が、坊主頭にしたのに倣って、看護師さんに、『彼のように〈坊主刈り〉して!』とお願いして、刈ってもらいました。それ以来、もう10年近く、同じ髪型にしてきています。この方が、私たちの友人のお兄さんだったのです。以前、『兄が大怪我をして、病院に担ぎ込まれて、ずっと入院してるのです!』と聴いていました。ところが、怪我をして見てもらった病院では、手に負えないとのことで、紹介されて入院したのが、同じ病院の同じ病室の隣のベッドだったのです。なぜか神秘的な、〈運命的なもの〉を感じたのが正直な気持ちでした。
彼は、戦争中に、北京で生まれているのです。彼が引き上げてきたのが、私が生まれ育った山村の2つほど北の村でした。私は、小学校1年の夏休みに東京に越したのですが、彼はその村で育ったのです。言葉数の少ない人ですが、何か、とても近いものを感じております。私の入院中に、リハビリを開始して、だいぶ機能を回復してきておられましたが、車椅子に乗られ、片腕がやっと動かせる状態でした。今は、その病院から、近くの街の施設に転院していらっしゃると聞いています。また会ってみたい人の一人です。
おとといの晩、いつもの様に、電気バリカンを使って、頭髪を刈っていました。十年間、伸びると刈るを、自分の手で繰り返してきているわけです。綺麗に刈り上がって、襟足を鏡に写してみますと、何だか刈り残しがあったのです。それで掃除し終わったバリカンで、再び狩り始めた瞬間、「一分刈りのアタッチメント」を付け忘れて、「一りん刈り」になってしまったのです。自分で髪の毛を刈り始めて、初めての失敗でした。後頭部で、目に見えないところですから、気にしなければ、それですむのですが、やはり気になってしまうのです。それで毛糸の帽子を深くかぶって、昨日は外出しました。なんとなく襟足が涼しいのです。
私が住んでいる家の大家さんも同じ坊主頭で、なんとなく安心しています。彼は法学部の教師で、弁護士もしているのですが、髪型には何ら頓着しないのでしょうか、いつもさっぱりしていて、仲間意識を感じております。でも冬場になると、毛がないというのは寒さを感じるもので、、今度は、鬘(かつら)を手に入れようかなとも思っております。「白頭掻けば更に短し」と詠んだ、杜甫の「春望」を学んだことがありますが、髪の毛がまばらになってきて、白髪だらけになってしまった自分です。髪の毛のフサフサだった若い日の写真を一葉、そっと財布の中に隠し持っております。時々、『これ誰だかわかる?』と聞いて見るのです。『髪の毛があった時だってあるんだぞ!』、訴えるのです。無駄な老いの抵抗かも知れませんね。太陽は、今はまだ薄日ですが、これからだんだんと濃くなっていくのですが、髪の毛は・・・・。
(写真は、四川省成都にある「草堂」にある漂白の詩人「杜甫」の像です)