『同じだとは思えない!』

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 昨晩、一組のご夫婦、この方たちと一緒に働いているご婦人、そして私たちの友人と、六人で食事をしました。『日本料理を!』と言ってお招きしたのですが、結局、私の母が、よく作ってくれたハンバーグのレシピに従って、それにアレンジを加えたものと、サラダ、それに「オックステール」のスープ、純和風の煮しめ(牛蒡と大根とコンニャクとサヤエンドウなど)、さらにヨーグルトを使ったデザートでした。結構好評でした。

 この方は、青年実業家で、機材や材料を卸す商事会社をしながら、好きなパンを売る店を三軒、市内で展開しておられるのです。奥様も一緒に働いておられます。『ここのパンが美味しいんです!』と家内の茶飲み友たちが紹介してくれて、ときどき買いに行ったり、店の横のテーブルについて、コーヒーとサンドイッチなどを食べに行っていた店の経営者なのです。もしかしたら、日本のパンよりも美味しいのではないかと思うほどです。フランスからパン粉を輸入し、日本から機材を買って、職人さんたちに作らせているのです。

 先日、店にお会いしに行って、奥様と交わりをしました。ラテ・コーヒーとケーキとパンで歓待してくれました。私が驚いたのは、自分で経営している店の製品ですから、自分の裁量で持ってこさせてテーブルに並べても、ある面では当然なのですが、きちんとご自分でレジに並んで、カードで支払いをして、ご馳走してくださったのです。「公私混同」のない会社での振る舞いを見て、すっかり感心させられてしまったのです。いつでしたか、日本の大手のデパートの社長が、奥さんの下着まで会社のものを持ち出していたことをニュースで聞きましたので、経営者とは、そういったことが許されるのだと思っていたので、意外だったのです。結局、経営者がそうですと、社員も公私混同してしまって、示しがつかなくなるわけです。

 この方は、これまで30数回、日本に出かけておられ、日本支社も開設の準備をされておられます。昨晩の話の中で、こんなことを言っておられました。『東京の街で仕事で出会ったり、街で行き交う今の日本人と、戦争で蛮行をした日本人と同じ日本人だとは思えないのです!』と。おとなしくて、折り目正しくて、気配りがあり、紳士的な現代版の日本人を高く評価しているので、そういった言葉が出たのだと思います。

 「窮鼠猫を噛む」という言葉があります。ネズミは天敵の猫の前では、為す術がないのですが、切羽詰まると小さな牙を向いて、猫に噛みつくこともあるという意味なのです。アジアの植民地化を画策していた欧米諸国の前で、日本は富国強兵で対抗しようとしました。しかし、欧米の圧力に徐々に追い詰められて、武力と産業力を、さらに強大化していきます。対抗したり、伍(ご)して行こうとしたのですが、容積以上に肥大化していった軍隊や産業界が、それを維持していくために、朝鮮半島や中国大陸の東北部を植民地化していくのです。そういった野心的な動きに、『ノー!』と言ったアメリカの思うつぼで、太平洋戦争を始めてしまい、国力の雲泥の差で、結局敗戦の憂き目にあったわけです。まさに、日本な追いつめられたネズミで、筆舌に尽くしがたい戦争犯罪を犯して、抗(あら)ったのですが、結局、猫の爪の前に、打ち倒されてしまったわけです。

 私が、ここ中国に来て、日本人だとわかると、戦時中の日本人のイメージで、自分が見られているのだと感じることがありました。しかし、穏やかな物腰て交わっていくうちに、『父や祖父に聞いた、あの時の日本人とはちがう!』と言った意識で接してくれるようになったのです。それはソウルに行った時にも感じたことでもあります。戦争が終わって、70年近く経つのに、そういった〈過去の物差し〉が生きていることを感じて、マイナスイメージを払拭するのはなかなか難しいのだと思わされたのです。知日派の夫妻は、二人の子どもさんに、日本名でも通用する名をつけておられました。じつに楽しい宵でした。

優先順位

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 この2日の日曜日の朝、中央自動車道の笹子トンネル内で、コンクリート製の天井板が崩落して、9人の方がなくなったとのニュースを聞いて、驚きました。何百回となくハンドルを握って通ったトンネルでしたから、人ごとではなかったのです。自分が走っていた頭上に、そんなに重いコンクリート板がはられていたことを、この事故のニュースで、初めて知ったのです。30数年前の工法では、そういった材質の仕切り版が必要だったのでしょうけど、『最近では、軽量で硬質のプラスチック製の板もあるのに!』、と思うことしきりです。

 『高速料は高い!』と思いながらも、速さを選んで、国道を走ることをやめてしまっていました。その料金の収益は、相当なものがあったのでしょうけど、それを安全性を考えて、道路保守の整備のために、十分に使わなかったのではないでしょうか。収益の最優先の使途は「安全」が第一なのにです。私の30数年の支払った高速料金の総額で、あの板の一枚くらいの交換代金は賄えられたのではないかと、皮算用をしてしまいました。

 『1つの大事故の前に、29の小事故があり、そして300の予兆がある!』というのが、〈ハインリッヒの法則〉です。どんな事件、事故でも、急に起こることは稀です。必ず予兆があるのですから、それを見過ごしてきたことに、今回の事故の原因の一つがあることになります。いつも思うことですが、悲惨な事故が起こってから対策がなされる、病気になってから、やっと健康管理を始めるというのが世の習いです。しかし、収益を上げているのに、それを「安全」のために使わなかった功罪は実に大きいと思うのです。

 まだ中央自動車道が、大月までしかなかった時に、国道20号線の笹子トンネル(正式には〈神笹子隧道〉というそうです)を利用して甲府や諏訪の方に出かけていました。このトンネルが長くて、空気が悪くて、気味が悪かったので、ある時、笹子峠を越える旧甲州街道を走ってみたことがありました。曲がりくくねった山道で、やはりトンネルを利用したほうがいいことが分かったのです。やがて、中央道が勝沼まで伸びました。『長いトンネルだなあ!』というのが、高速道の笹子トンネルを通った時の印象でした。

 日本中に数えきれないほどのトンネルがあり、陸橋があり、地下鉄が地下を走っています。便利になればなるほど、危険度が増してくるのですから、その危険度を軽減するために、繁栄の日本が歩んできた年月の総決算として、もう一度「列島総点検」が必要ではないでしょうか。都内を走る「首都高速」ですが、道幅は狭く、老朽化が進んで、何年も前から、なんとなく、走るときに怖さを感じていました。ここだって大事故が起こりかねない状況下ですから、早期の対策を講じなければならないのではないでしょうか。

 子育て支援をしても、その育っていく生命が危険な目にあったのでは何もなりません。「優先順位」をもう一度再考して欲しいと、一国民として、4人の孫の爺といて、心から願っております。『命あってのモノ種!』です。

(写真は、甲府市から大月に向かう中央道「笹子トンネル」です)

吐く息が白くなりました!

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 さすが12月、バス停でバスを待ちながら、『ハー!』と息を吐きましたら、白くなり始めています。さしもの華南の地にも、冬が訪れてきたようです。雪も氷もない冬ですが、北から吹いてくる風が、だんだん冷たく感じられてきています。それでも日中、陽が出ていますと暖かく、若者たちの中にはTシャツの人もいるのには驚かされます。2006年から1年間過ごした天津の街では、もう、ずいぶんと寒いことでしょう。でも部屋の中には「暖機(nuanji)」という温水の循環式の暖房があって、近くの施設で石炭を燃料にわかされた温水が、送水管でアパートというアパートに供給されて、室内では暖かく過ごすことができるのです。薄着で生活していた、あの年の冬が羨ましく感じられてきます。

 広大な中国大陸、長江より南の地域には、この「暖機」がありません。それで、みなさんは、外で着用している厚手のコートやジャンバーを着たまま、室内で生活をしているのです。その様子を初めて見て、ちょっと驚いたのですが、私たちは、電気ストーブで暖房していますので、結構温かな冬を、室内で過ごすことができています。それでも、最近出店した外資系の大型スーパーなどでは、空調設備が整って、従業員たちは薄い仕事着で立ち働いているのを見かけます。もともと冬の寒い日本の地で生まれて育ちましたので、案外と寒さには強いと自負していましたが、年々、寒さが身にしみてきおります。

 最低気温が4度くらいにはなりますが、やはり、寒さを感じてしまいます。もう2週間ほどで、「冬至」になります。寒ければ寒いだけ、「春節」の到来が待ちどうしく感じる中国のみなさんが、『春よ来い!』と願う、「春待望」の心境が分かり始めて参りました。それでも、黄色や淡い桃色の花が、木々の梢で咲いてるを見て、華南の地であることを感じさせられている師走の朝であります。

〈写真は、長江上流、雲南省の金沙江の「虎跳峡」です)