『来年こそ一度やってみたいこと!』

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 『来年こそ一度やってみたいこと!』の一つは、「歌舞伎」を観に行って、役者の屋号である『中村屋!』とか、『播磨屋!』と言って、掛け声をかけてみたいのです。歌舞伎座でかけられるような本格的なものを観たことがないのです。よく父が、『昔から、歌舞伎役者を〈河原乞食〉と言って軽蔑されていたんだぞ!』と言うのを、子どもの頃から聞かされていたので、つい足が遠のいていたからです。こちらに来て、「京劇」、「川劇」、「闽劇」という中国の歌劇の観劇招待状をいただいて、観る機会がありました。相互に影響しあったと言われる「歌舞伎」を、そんなことで、一度観たくなったわけです。そして、腹から、『三河屋!』を屋号を呼んでみたいのです。

 そういった呼びかけというのは、中国の劇にはなかったと思います。みなさんは静かに観ているのです。でも、『何を言ってるのかチンプンカンプン!』と、こちらの方がいうのを聞いて、『じゃあ、分かりっこないよね!』と家内と言ったりしておりました。それでも、娯楽の少ないこちらでは、ずいぶんと人気があるようです。テレビでも専属チャンネルがあって、年寄りは、楽しみにして観ていると聞いています。

 長野県の大鹿村に伝わる「大鹿歌舞伎(農村歌舞伎)」を観た時に、ほんとうに『面白い!』と思ったのです。何時もは、みんなと同じようにはしない私ですのに、「おひねり(お金を紙に包んでひねってあるのでそう呼びます)」を、舞台に投げて楽しんでみました。演目は「藤原伝授手習鑑~寺小屋の段」でした。江戸時代の農村で、ご禁制でありながら、密かに残され楽しんでいた娯楽で、それを観た時に、『きっと、平家などの落ち武者が、この山岳地帯に流れてきて住み着いたけれど、「武士(もののふ)」の血が騒いで、鋤や鍬を持つ手を休めて、剣や槍で演じ、また観てきたのだろう!』と思わされたものです。終演の時は、大きな拍手をしてしまいました。

 何時か、また大鹿村に行って、この農村歌舞伎を見てみたいと思うのです。桜の春と、紅葉の秋、年二回の公演をしていて、映画にもなったことから、全国的な人気が出てきたのだろうと思います。長野県には、この大鹿村だけではなく、他の村でも、伝承されて、公演が行われていると聞いたことがあります。そいうえば、ずっとこの村に住んでいる人の顔をよく見てみると、『あの平清盛は、こんな顔をしていたのだろう!』と思ってしまうような、凛々しい男性がおられました。ここでは、役者が素人の住民ですから、屋号はないでしょうね。野菜を売っている店の主人が出てきたら、「やお屋」とでも呼んでみましょうか。きっと顰蹙(ひんしゅく)をかうことでしょうけど。

(写真は、「大鹿歌舞伎」の観劇風景です)

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