ジジくさい年令

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 この月曜日の朝、風呂をたてました。檜ではないのですが、木造りの風呂桶に、湯沸かし器の湯を満たして、「和の里の湯」に浸からせてもらいました。『こんなに悠長で、贅沢な時を過ごしていいのかな?』と、ちょっと気兼ねをしていますが、「腰痛」がまだ改善していませんので、『腰を温めよう!』と言うことで、入ってきたところです。今朝は、「日本の名湯・由布院の湯」の温泉の素まで入れてて楽しみました。湯上りには、「ブルーマウンテン」のコーヒーを、ミルで挽き、ドリップで入れて、今、一口飲んだところです。仕事場に出ている方がたには、ほんとうに申し訳ないと思っています。退職後、こちらに来て、学校で週に2日、講師として教え、時々、経験談などを話す機会が与えられたりしております。また、病気の人を見舞ったり、相談に乗ったり、家内と、そんな日を過ごしていますので、持病で苦しんでいる時くらいは、こんな贅沢は許されるのだと思っているところです。

 仕事をしておりました時には、精一杯働きましたので、退職後は、こういった生活も許していただけるのだと思っております。若い時には、本職の他に、月に二度、中型のスーパーマーケットの床掃除を請け負っていました。12時閉店と同時に始めて、明け方までかけて仕上げたのです。従業員を雇って、床をピカピカにする仕事は、学校に行っていました時のアルバイトで、ホテルで覚えた仕事でしたので、苦になりませんでした。他にも、一時期でしたが、コンビニからも頼まれて、月に5~6軒の床清掃もしていました。20年ほど、させてもらったでしょうか。夜勤シフトでしたし、意外と重労働でしたから、ずいぶん体を酷使したのかも知れません。それが、この持病を持った原因なのかも知れません。

 子どもたちの学費の工面や友人への援助とかで、実に張りを持って働くことができたのです。夜が白むころに終えて、みんなを帰して、一人銭湯に出かけたり、24時間営業の温泉施設に行っては、疲れをとったのです。そんな過去がありますので、〈腰痛=温泉〉のパターンができたのでしょうか、『温泉につかれば痛みが和らぐ!』といった経験が、今朝のような行動を取らせるのかも知れません。

 子どもたちが帰国中には、よく手伝ってもらいました。要員を確保できなくて、東京や静岡からの助っ人をお願いしたこともありました。実に懐かしい思い出です。手伝ってくれた友人たちに、今でも大きな感謝があります。潤沢にお金があって、子供たちを留学させられたのではなく、夜勤シフトの仕事の機会が与えられて、それで賄えことは、たいへん感謝なことでした。中学生だった次女が、体調の悪い私のために、コンビニの真夜中の掃除についてきてくれ、手伝ってくれたことが、数回ありました。小さい店でしたから、一人でやっていた私に、同情してくれたのです。翌朝、眠い目をこすって学校に出かけていったのです。冬場、水が冷たくて、大変だったのですが、「ホッカイロ」を買って差し入れしてくれたりしてくれたこともありました。涙がでるほど嬉しかった思い出です。あのスーパーマーケットの最終の仕事を手伝ってくれたのは、次男でした。

 時が過ぎ、そんなことを思い出させる「腰痛」です。あ、そういえば、学校にっていた時にしたアルバイトも、みんな肉体労働でした、沖仲仕、穴掘り、配送などなどです。生きてきたように、今があるのでしょうか。決して悔やんではいません。大学で猛烈に激しい運動部に所属し、大学選手権を勝ち取った時のスタメンだった上の兄も、腰や膝の不調に苦しんでいると、メールにありました。まあ、『もう、無理しないでゆっくりしなさい!』と言うことなのでしょうか。最近は、弟などは、『帰ってきたら、また温泉に行こうね!』と言ってくれ、みんな〈ジジくさい年令〉になってしまったのだと、微笑んでしまいました。

(絵は、晩秋の由布岳(湯布院)、下は、ファミリーマートのある店舗です)