大リーグで活躍している選手で、今シーズン注目を浴びたのが、ヤンキースの黒田博樹投手です。37歳ですから、野球界では高年齢選手になりますが、親切にベテランというべきでしょうか。イチローにしても松井にしても三十代の後半、私の子どもたちと同世代です。その黒田が、ニューヨーク・タイムズのインタビューで、「日本式野球」を語り、それがニューヨークっ子を驚かせているそうです。
「そういう時代だったんでしょうね。練習中に水は飲んではいけないと監督が信じていましたから。みんなよく気絶したものです。自分も川に水を飲みに行きました。きれいな川ではありませんでしたが、きれいだと信じたかったですね」、「野球を続けるためには、生き残らなくてはならなかったのです。そのためには免疫機能を鍛えるなければいけなかったですね。小学校のときから軍隊にいるみたいなもので、ミスをすればケツバット。次の日は椅子に座れない」 、「大学1年生のときは基本的に奴隷です。洗濯ができていないと、今度は熱くなっている屋根の上に正座させられました。足の感覚がなくなり、はって部屋に帰ることになるのです」、などと答えたのです。それで、「子供のときは野球が楽しいと思ったことはないです。もし試合で200球投げろと言われたら、疲れるでしょうが、やると思います。そうやって教えられて来ましたから」と同紙に笑顔で黒田はこたえています。
学校の運動部のことを、私が語りたくないのは、黒田の言うようなことがあったからだと思います。彼の父親の時代ですから。中学に入ってバスケットボールを始めたのが1957年でしたから、戦争が終わって、12年ほどしか立っていなかったのです。高校の部活動と一緒に練習を指定ました。そこには、高校を卒業した大学生や、すでに大学を卒業していたOBがやってきては、練習の指導をするのです。彼らは、軍隊帰りのOBにしごかれた方法を受け継いでいましたから、黒田投手の時代よりも、さらに野蛮でした。
昨日、息子の講演を、家内と一緒に聞いたのですが、彼が、中学校の野球部で、黒田投手に似た経験をしていたようで、親の知らない所で、軍隊風な「しごき」が行われていたわけです。彼は決して話しませんでしたから。〈精神力〉とか〈根性〉と言っては、『これこそが強くなる秘訣だから!』と、暗黙のうちに認められていたものです。もちろん、「焼肉食べ放題◯◯亭」に連れて行ってもらって、戦勝会や納会をした懐かしい思い出も、息子にはないわけはないのですが。
上級生が下級生に「焼きを入れる(goo辞書によりますと、『・・・2 ゆるんだ気持ちを引き締めさせる。また、制裁や拷問を加える。「後輩に―・れる」 』)」ことをした、苦くて、ひどい思い出があります。会ったらお詫びしないといけないと思っていますが。いつも思っていたことですが、軍隊帰りの先輩たちが、平和な世の中になって、ああいったことをやっていたということは、旧軍隊内では、ずいぶんと非人道的なことが横行していたということになります。「内部崩壊」も、敗戦の原因の1つとして考えられるのでしょうか。
アメリカの軍隊、いえ世界中の軍隊には、「死」に直面させられるのですから、厳しい訓練、精神的なものを鍛える方法だってあるのです。しかしスポーツは戦争とは違うのですから、楽しんでやりたいものです。〈勝つ事〉が求められて、楽しくないのは、もうスポーツとはいえないのかも知れません。黒田投手は、長い野球人生で、最高に満足な一年だったのではないでしょうか。You did good job!