中学生になった私は、『男は、ひげの剃り跡の青さがいい!』と、担任に言われてから、父の安全カミソリで、毎日、入浴時にはひげを剃り始めたのです。父は、ひげが濃かったのですが、母似の私は、いくら剃っても、産毛ばかりで、一向に剛毛が生えてこないではありませんか。ついでに、胸毛のあった父のようになろうと願って、胸も懸命に剃ったのです。それは全て徒労に終わりました。大学に入る頃になって、やっと〈男らしさ〉の象徴のひげを認められるようになってきたのです。それ以来、毎朝、顔を洗うのと同時に、ひげ剃りを欠かしていません。今では、毎日仕事をすることもなくなってしまったので、怠けて剃らない日もあるのですが。何度かひげをたくわえたこともありますが、家内と子どたちの反対で、すぐにやめてしまいましたが。
ひげ剃りのたびに鏡に写して、十人前の顔を眺めるのですが、まあまあ元気そうな顔色を見ては、安心するのです。しかし、40を過ぎてからは、違った観点から、自分の顔を眺めはじめたのです。かの有名な、アメリカ大統領のリンカーンが、『男は40過ぎたら自分の顔に責任をもて!』と言ったと聞いてからのことでした。「いい顔」かどうか、『この顔で、他人の前に出て、人に見せてもいいか?』を点検しているのです。目付きとか表情が険しくないか、卑しくないか、欲が突っ張ってないかどうかを見るのです。そして、大丈夫だったら、ニコッと笑ってみせるのです。だって、この顔で生きていくほかないからです。
それで、自分の顔が気になり始めた私は、他人の顔も注意深く見ることにしたのです。『目は口ほどにものを言う!』と言いますから、『この人の無言の表情は、何を語っているのだろうか?』と、興味津々で眺めるのです。実に好い顔、好い目をしている方がおいでです。映画俳優や女優のような美男子、美女というのではなく、実に素晴らしく生きてきた顔と出会うのです。顔は、生き様が現れてくるのからです。私の最初の職場に、警視庁に勤めながら、中央大学の夜間で、法律を専攻した方がいました。私の直属の係長でした。この方が、善良かどうか、犯罪性があるかどうかの判断の規準を、警察官として学び経験したことから、教えてくれたことがありました。
人を観察する目が、ちょっと厳しくなってしまったのは、そのせいでしょうか。自分の顔にも、『責任を持て!』と言い続けてきたつもりでおりますが。会って直接見たことはないのですが、実に「悪い顔」の大臣がいました。醜男だというのではありませんが、とても気になっていたのです。やはり、いつの間にか、辞任してしまいました。天津の南開大学の近くに、「周恩来記念館」があって、家内と訪ねたことがあります。この方の写真や使われた文物などを見ながら、『好い顔だなあ!』と感心したのです。日本に留学した頃の若かりし日の写真も、総理に就任した時の写真も、その表情が好いのです。京劇の俳優のような色男ではないのですが、信念と正義を貫こうとしている顔なのです。私を教えてくれた元警察官の判断規準によっても、じつに善良で、責任感に満ちた顔に見えました。
この周恩来総理が、亡くなった時に、無一物だったと聞きました。自分や妻や親族のために備蓄をしておかなかったのです。記念館にいたときに、何組もの若い男女が、見学に来ていました。なぜなのか聞きましたら、周恩来は、こよなく奥様を愛された方で、それにあやかろうとして、結婚を決めた男女が、連れ立って来られるのだそうです。こんな素晴らしい指導者が、この国を支えてきたのだと思わされたのです。
今朝も、鏡に顔を写してみました。『これなら、まあまあ及第!』と、合格点を上げた次第です。バスの中で、私が乗ってきたのを見止めた学生が、『どうぞ!』と目で合図して、席を譲ってくれる、そんな顔になってまいりました。喜ぶべきなのでしょうね。
(写真は、アメリカの5ドル紙幣の肖像の「リンカーン」です)