あるブログへの知人のコメントに、「晩節を汚す」とありました。weblioの辞書を見ますと、『読み方:ばんせつをけがす。それまでの人生で、高い評価を得てきたにも関わらず、後に、それまでの評価を覆すような振る舞いをして、名誉を失うこと。 』とありました。十代の若い時に憧れ、その主張や事業観に共鳴し、『この人の弟子、門下生になりたい!』と思わされた人がいました。しかし、その方は、事業を投げ出さざるをえないほどの人格的な欠陥を見せて、業界から消えてしまいました。彼の失敗を、「晩節を汚す」ということばが、言い当てているのでしょうか。彼の弟子になる道が開かれなかったのは、幸いなことだったかも知れません。
そんな私のために備えられた師は、目の青いアメリカ人実業家でした。八年間、彼のもとで仕事を学び、様々なことを教えてもらいました。そればかりではなく、この師の友人たちが訪ねてきては、この私に興味を示して、いろいろな刺激を与えてくれたのです。その中に、ニューヨークの学校の教授で、自分の教えた学生たちを、世界中に送り出していた方がいました。休みには、そういった教え子たちの事業を手伝うために出かけていて、旅の途中に、日本にもやってきたことが何度かありました。彼の事業というのは、世界を事業対象にしていたのです。そんな彼が、アフリカで働こうとした時に、私を一緒に連れていこうとしたのですが、実現しませんでした。そんなに大きなビジョンを持っていたのですが、十数年前に、ニューヨークの病院で亡くなってしまいました。
若い時の、そういった出会いとか学びとか刺激というのは素晴らしいものだったと思うのです。学校での学びではなく、実務を学ぶ機会に恵まれたからです。私は失敗したからではありませんが、その受け継いだ事業から身を引いたのです。投げ出したのではありません。父が若い時に過ごしたこの国の東北部に行って、人生の最後を生きたいとの願を果たそうと思ったのです。ところが私は、遼寧やハルピンではなく、華南の地に導かれて、ここで6年目を過ごしています。天津で過ごした一年を加えますと、もう七年目になります。今思うのは、高い評価など受けたことのない、この人生を生きてきましたが、この期に及んで、「過去の生き方を汚す」ことのないように、また「師の教えに悖(もと)ることのない」、そういった日々を送りたいと思うのです。
でも、明日のことは、どうなるか分かりません。「明日ありと 思う心の 徒桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」という和歌があるようです。何が起ころうとも、子どもたちや、孫たちを辱めるような生き方だけは、『したくない!』と思っております。あれっ、ちょっと暗くなっているでしょうか。『お父さん。明るい話をしようよ!』と、話題が暗くなるときに、きっと言っていた次男の言葉を思い出してしまいました。きっと、腰痛のせいかも知れません。私の師が、病院でコルセットをはめて、牽引されていたのは、腰痛治療だったのを思い出してしまいました。その見舞いの時の写真が残っていて、彼の「腰痛」も受け継いでしまったのかと、思う、久しぶりの雨の日の午後であります。
(写真は、Tシャツの「弟子」です)