高校3年、進路を考えていた時に、気の多い私は、「大学進学」と「アルゼンチン移住」、これが駄目だったら「自衛隊入隊」という、3つの選択肢を考えついたのです。結局、大学に受かりましたので、後の二つは幻のように消えてしまいました。中高と6年間、男子校で過ごした私は、その反動で、女子大には入れてもらえませんので、女子大学生の多い大学と学科を選んだのです。動機が悪かったのですが、何とか入ることができました。少々強い運動部にいましたので、推薦がとれたのですが、それには目もくれずでした。
その大学で4年間学ばせてもらった私は、とても素晴らしい時を過ごせたことを、今思い返して、大学に進ませてくれた父と母に、心から感謝しているのです。私のゼミには、「ゼミ歌」がありました。三木露風が作詞し、山田耕筰が作曲した「赤とんぼ」でした。
夕焼小焼の赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
山の畑の桑の実を
小かごに摘んだは まぼろしか
十五でねえやは嫁にゆき
お里のたよりも 絶えはてた
夕焼小焼の赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
子どもの頃の懐かしさと、学校時代の思い出が重なって、歌ったり、聞いたりしますと、様々なことが思い出されてくるのです。NHKに、私と同窓の先輩がいました。独特な節回しをするアナウンサーで、「中西龍(りょう)」といいました。この方が、「にっぽんのメロディー」というラジオ番組を担当していたのです。第一放送で、1977年から1991年までの夜に放送されていました。この番組のテーマ曲が、この「赤とんぼ」でした。まいたび、この曲を聞きますと、胸が『キュン!』としてきて仕方がありませんでした。この曲が流れると、『歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます。』 と始まるのです。そしてリクエストされたはがきが二通読まれ、二曲のリクエストの歌が放送されていました。
この番組の放送の時間、家にいるときは、妻や子どもたちに内緒で、布団の中に携帯ラジオを持ち仕込み、イヤホーンで聞くのを、ほとんど唯一の楽しみにしていたのです。他に趣味のなかった私のお金のかからない〈道楽〉でした。今思い出すと、流行歌を聞きたかったと言うよりは、「赤とんぼ」の挿入曲を、繰り返し聞きたかったのだと思うのです。
『骨折り損の、くたびれ儲け!』という言葉があります。今朝は、4時過ぎに目が覚めてしまいました。授業のある日だったので、横にならないで、そのまま起きて、本を読んだりしていたのです。時間が来たので、7時前に家を出て、コピーをする必要もありましたので、店に寄って、4階の教室に行きましたら、教室がロックされていたのです。それで、管理人室に鍵を、と思って降りたら、そこに管理人がいて、『今日は授業がありません。運動会ですから。』と言われたのです。
しっかり調べなかったのがいけなかったのですが、儲けたのは〈くたびれ〉ではなく、〈時間〉でした。それで、踵を返して、喜んで家に帰りました。それで今日はハイキング日和、真っ青な空の秋そのものの一日でしたので、家の前からスーパーマケットの送迎バスに乗せていただいて、川岸にある「公園に」にでかけました。家内と私の共通の友人のご婦人をお誘いし、そのスーパーで落ち合い、向日葵畑や様々に咲く花を見て回りました。昼前に、持っていったお握りや煮しめで昼食を、三人でとったのです。池の淵のベンチに座っていたら、「赤とんぼ」が、じっと止まっていたのを、家内が見つけました。見ていたら懐かしさがこみ上げて、涙が流れそうになってしまいました。帰りには、そのスーパーで買物をし、家の前まで送ってもらいました。よい秋の一日に感謝した次第です。
(写真は、八王子市恩方にある「夕焼け小焼け・ふれあいの里」です)