終の棲家考

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 最近、『帰国しなければならなくなったら、どこに住もうか?』と考えているのです。もう数年後には、そうしなければならないかなと思っているからです。つまり、〈終の棲家(ついのすみか)〉を決めるべきかも知れません。家を持っていないというのは、自由に居住地を選択できるということになりますね。南信の飯田を行き来していて、帰りに高速道に乗らないで、一般道を走っていて気に入ったのが、「駒ヶ根」でした。南アルプスと中央アルプスに挟まれた高原地帯で、実に静かな街でした。野菜や果物が豊かに収穫されて、蕎麦がやけに旨く、空気と水が美味しい土地なのです。『でも冬場が寒そう!』と、心配して迷うくらいですから、本気ではないのかも知れません。

 岩手県に、「岩泉」という街があります。2010年に、土砂の崩落で脱線事故が起き、運行を休止していた、「JR岩泉線(盛岡と宮古経由で釜石を結ぶ山田線の茂市と岩泉を結ぶ鉄道です)」は、そのまま廃線が決まったようです。かねがね、このローカル線に乗りたいと思っていたのですが、その夢も叶わなくなってしまって、今は、回れ右してしまいました。昔、貧しかった岩手県のこのあたりは、口の悪い人に〈日本のチベット〉と言われたほど、風光明媚な所なのです。電車に代わって、バス路線があり、盛岡から行くことができますが、鉄道の楽しみがないのは残念で仕方がありません。ここも寒そうですね。

 山歩きが好きでしたが、海も好きですし、あの潮騒(しおざい)が私を呼んでいるので、海辺の町に住んでみたい気もしているのです。小田原とか、葉山とか、西伊豆とかですね。父が生まれ育った横須賀もいいなと思うのです。でも去年の東日本大震災の折の〈津波〉のことを考えますと、海辺はちょっと危険かなと思ってしまいます。富士山の火山爆発が予測されていますから、二重に危険でもあリますので、なんとなく躊躇してしまいます。原子力発電所の周辺も危険ですし、風下になる土地だって、安心できません。東京の首都圏の地震が騒がれていますから、これも敬遠したほうがいいかも知れません。今は健康ですが、病気になったら、近代医療機器の整った病院のある、大都市周辺がいいわけです。でも人も車も騒々しくて、訪ねるのはいいのですが、住むには迷ってしまいます。

 そんな風に、危険に否定的な目を向けていたら、日本では、いえこの地上では、住む街を、どこにも見つけることができないことになりますね。『いつ、空が落ちてくるか知れないので、安心して外出できません!』と、外出恐怖症になった方がいたと聞いたことがあります。『この食べ物に毒が混じっているかも知れない!』と、拒食症の人の話も聞きました。でも、星の動きに導かれて出かけた人の話もありますので、今を精一杯生きて、『動け!』という声を後ろから聞いたら、星の動きに従うことにしましょう。だって私たちは、寄留者であり、旅人であるのですから。この五尺の体を横たえ、納められる場所は、どこにでもあります。大切なのは、思い煩わないで、生きることなのでしょう。ああ何だか、ホッしました。今に感謝する・・・そうですね!でも、ハワイがいいかな。あれっ・・・・・!?

(写真上は、烏帽子岳から望む駒ヶ根市の全貌、中は、岩泉線の景色、下は、父の生まれ育った横須賀の海岸です)

国慶節

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 ここ中国では、春の到来を喜ぶ「春節」、秋の国の誕生を慶ぶ「国慶節」を祝祭の日としています。

 この国と、住んでいます街、この国の人々、この町の人々の「平安」と「繁栄」と「健康」を、今朝、在華七回目の祝祭の日を迎え、心からお祈り申し上げます。

 この国の指導者のみなさん、とくに胡錦濤主席、温家宝総理、次期の重責を担う新指導部のみなさんの「平安」と「健康」とを、心から願ってお祈り申し上げます。さらに、この国で出会った友人のみなさん、学生のみなさん、教師のみなさんの「平安」と「健康」を心から祝福いたします。

 中日の間にある齟齬が正され、千数百年の友好の歴史、ことのほか「四十年の友好の努力」が、しっかりと実るように、心から祈念いたします。

(写真は、延々と続く「万里の長城」です)