食べ続けての今

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 自分の国民性( nationality )や民族意識( ethnic consciousness )が、けっこう拘り過ぎがあって、しかも強すぎたのではないか思うことがあります。つまり、『日本人!』だとの意識が強くて、なんとなく自分でもおかしいと思いながら、それにしがみついていたのが若い頃だったかも知れません。それだけ identity が確かにされていない不安定な時期だったからでしょう。

 思春期って、そう言う時期なのでしょうか。もがきながら、『自分がだれか?』を見つけ出す時だったに違いありません。いったい〈日本人であること〉って何なんでしょうか。日本人の心的状況( mentality )は、外国人にはどう見えているのでしょうか。

 良い点では勤勉さ、几帳面さ、律儀さでしょうか。悪い面では猜疑心が強く、陰気で、執念深く、否定的で、鬱的なのでしょうか。人の目ばかりが気になるような人間でもあるようです。そんな傾向にある私たちですが、農耕民族だからでしょうか。それで、日本人の自覚が呼び覚まされるのは、「米」を中心とした食生活に関わることなのかも知れません。その繋がりって大きいのでしょう。

 毎朝、毎晩、子育てをしていた母の仕事は、米を研いで、火鉢に薪をくべて、鍋でお米を炊き、大根や菜葉やワカメで味噌汁を作り、大根の漬物や干物や納豆などで朝ごはんを済ませ、弁当を作ってもらい、学校で昼ごはんを食べたのです。夕餉の用意も母がしていました。米を炊き、おかず、味噌汁、漬物を食卓に並べてくれました。それは大変な家事だったのです。

 手抜きがなく、不平を言うのでもなく、一途に養ってくてた母を思い出します。時には、パン屋でコッペパンを買い、肉屋でコロッケをかい、ピーナッツバターを塗ったりして買い食いもあったでしょうか。やはり、米を食べて、この体が作られたのです。

 「米」こそ、日本、日本人の中心だったことは言い過ぎではなさそうです。『生きよ!』と願われる、創造主の神さまは、この日本の地に、米作を展開させてくださったに違いありません。大陸の黄河周辺の米作が、朝鮮半島を経由して渡来し、この地に根付いたのです。最初に日本に持ち込まれた古代米という「赤米」を、私は食べたことがあって、何か time slip したような感覚を覚えています。

 米作りは、第一次産業で、米一粒の重さや価値が、日本人にとっては、どれ程のものだったかを、親から教えられたことだったでしょうか。粗末にしてはいけないと諭されたので、今でもお釜に残った米粒をつまんでは食べるのは、その名残でしょう。塩むすびは、どんなご馳走よりも、空腹時には宝物にように美味しく尊いものです。釜についた米を、ザルにとって、日干しで乾飯を作っていたのです。

 肥前の吉野ヶ里とか、武蔵の埼玉(さきたま)、津軽の三内丸山とか、古代に栄えたと言われる村落が、これら以外にも、日本列島には散在していたわけです。今、住んでいます建物から、南を見ますと、富士の高嶺が微かに見え、関東平野が延々と広がり、北には日光連山が眺められ、東には、筑波の山並みが遠望できます。

 群馬県境の、出流川周辺には、マンモスが生息していたと言う記念館があるほどで、この関東平野には、水田が、青々として広がっていて、米中心の文化や経済や生活が、勤勉に営まれ続けているのが分かります。でも、稗や粟や麦や蕎麦に、野菜や獣肉によっても、命が支えられた民が、日本人なのでしょう。米は備蓄されて、不作凶作時にも食べつないできているのです。

 日本の軍隊の食事ですが、陸軍の将兵は、脚気にかかる確率が高く、海軍はほとんどなかったのだそうです。それは、陸軍が米食、海軍がパン食(小麦粉)だったからなのだそうです。お国を守る兵隊さんには、貴重な精米した白米を食べてもらうことが、逆に仇になったのです。ビタミンB1の不足でした。

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 パン食の海軍さんや雑穀を食べた庶民は、脚気にはかからなかったわけです。精米した、いわゆる白米だけを食べる危険性が言われています。軍医だった森鴎外は、自ら脚気だったそうで、また明治天皇も脚気を病んでいたそうです。

 パンも、遺伝子組み換えの小麦使用でないもの、Gluten freeの食パンがだといわれて好いのだと聞いて、パンを選び、米粉を用いたパンも食べたり、退院後の家内は、けっこう食べ物に注意深くなっています。創造主からいただいた体を、管理し、最善に保つ責任があるからなのです。

 今も、青々と稲穂が伸び、秋に収穫を待っているのですが、日本人と米との繋がりは、われわれ世代は、ずいぶん強いものがありそうです。コメの石高によって、統治者がの力が測られ、武士階級の報酬も米によって支給され、農民は、米を作り、工商に携わる人たちは、商いで得たお金で米を買って、命を繋いできたわけです。

 子どもの頃以来、コッペパン、アンパン、クリームパンを、今では、硬い黒パン、フランスパン、ベーグル、カンパーニュなど、多種多様のパンが溢れていますが、やはり落ち着くには、トーストしてバターを塗った食パンが好きなのです。お昼には、国産小麦、バターを使用したパンを食べたところです。

 基本は今晩も、一合の米を研いで、一合半炊きの電気釜で、炊こうとしています。一日一度は米飯です。脚気にもならず、今を感謝しながら生きております。魚と納豆と緑色野菜が、定番なのです。もちろん肉だって食べています。昨晩の煮魚を家内に、冷凍保存してあるハンバーグを私が食べるつもりです。食べるって、大切なことだと、つくづく思わされる熱射の夏です。

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水を思う

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 神さまが定められた、天然自然の秩序があります。自然界が、天と地、光と闇、朝と夜、陸と海、男と女、人と動物、人と植物など、そこには、驚くべき区別と順序、役割の違い、互いの均衡が、創造の神さまによって定められています。順序よく創造の業がなされるたびに、神さまは、次にように言われました。

 『神はそれを見て良しとされた。(創世記11012182125節)』

とです。その六日間の創造を終えた時には、次のように言われたのです。

 『神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。(創世記131節)』

とです。その御業には、非常に、はなはだ良い「区別」、「順序」、「役割」、「区別」、「均衡」、つまり「秩序」があったということです。

 『神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記128節)』

 その神の定められた秩序の中に、人は造られたのです。地に人が、作物が、動物が、あらゆるものが、生命に溢れて満ちるように、定められたのです。そのことを、内村鑑三は、次のように言いました。

 『神の定めたまいし順序があります。「女のかしらは男なり。男は女より出でしにあらず。女は男より出でしなり。男は女のために作られしにあらず。女は男のために造られしなり」とあります。男は神の代表者として造られ、女は男の補助者として造られたのであります。共に神に仕うべきであります。しかし男は指導者として、女は助け手として仕うべきであります。この場合において、妻が夫に従うは、神に従うの道であります。従うは、従わるるだけ、それだけ神聖でありまた名誉であります。神の律法に従うところにおいてのみ、真の自由があります。男は神をかしらに戴いて真の自由を得、女は神の代表者なる男をかしらに戴いて、これまた真の自由を得るのであります。(19285月『聖書之研究』)」

 人が、いただいた生命を謳歌するために、すべての《もの》が秩序正しく造られたのです。ところが、人類の始祖が罪を犯した時に、その「秩序」が狂ったのです。殺人事件が起こり、自然の暴威が起こり、人と人、村と村、国と国、人と自然との関係に齟齬が来たり、創造の秩序を乱して、今日に至っています。〈罪の刈り取り〉、蒔いたものを刈るという結果が、近時、世界に見られる、世界中を襲う洪水や強風や犯罪であります。

 社会科の授業で、「国土保全」について学びました。それは、国民の義務です。国土を治め、人を治め、家庭を治める責任です。生活のために与えられた生活環境を、保護していく必要がだれにもあります。

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 アフリカ大陸や南アメリカのアマゾンや東南アジアの密林が、世界の気候や環境の保全のために、驚くべき役割を果たしていることを学んできましたが、手付かずの自然が、用地開発のための手を入れ、その地球規模の均衡が崩されてしまっているのです。それが、今日世界中で起こっている異常気象、自然災害の大きな原因の一つなのです。

 砂漠化した地に木の苗植えをし、伐採した森林に植林し、コンクリートやアスファルトに変えてしまった地を、緑の原野に戻していく努力をして、水資源を地球規模で確保する必要があります。工業生産のためには、莫大な量の水を必要としているのです。水の再利用も急務だと言われています。

 本来、地球が蓄えているべき水が、温暖化によって気化して上昇することで、冷えた水蒸気が大雨、暴雨、線状降水帯を生み出す原因なのだそうです。その異常を生み出してきた工業優先が、この異常気象に拍車をかけてきたのです。YouTubeのコマーシャルに、ペットボトルの水の会社のものがあって、スイスやフランスのペットボトル水が輸入されて売り始められた時、何とも言えない違和感を覚えた時と同じ、違和感をそのコマーシャルで感じたのです。水が、製品になると言うおかしさです。

 水質が、飲用に適さなくなってしまったので、自然の恵みの水が売られて、飲まざるを得なくなっている現実こそ、異常です。子どもの頃、母の手伝いで、井戸水を汲む手伝いをしました。釣瓶の桶によるのではなく、ポンプ式の井戸だったのです。井戸の蓋を開けると、その底に自分の顔が、はるか底に映ってたのを覚えています。

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 人が増えるに従って、井戸水の汚染が言われるようになり、市の浄水場からの水道水の供給が始まり、蛇口を捻ると、水が出るように変わっていきました。でも、あの堀井戸から汲み上げた水は美味しかったのです。井戸のことを考えますと、ブラジルに移民した義兄が、「上総(かずさ)掘り」と言う井戸について資料を欲しがっていたことを思い出します。地下水を汲み上げて、天然水を、農業用に、また飲用に利用したかったようです。アフガニスタンで、中村哲医師が、用水路を敷設することに尽力したことも有名な話です。

 水と人とに関わりは、歴史的に見て、人類の生存にとっても、極めて重要です。飲用、農業用、工業用に必要な水も、防雨がもたらす洪水となると、これは一大問題です。今回の台風7号による、鳥取市の先代川の増水のニュースを伝えていました。〈治水〉は古来からなされた重要な対策であるのです。でも昨今の水問題は、どうする術もないような域にありそうです。治山、治水、国土保全に励んできた日本では、それでも甚大な被害を抑止してきています。

 水ジャーナリストの橋本淳司さんが、『台風や大雨など、気候変動の影響を受けている日本で、社会生活が長期間ストップするほどの事態にならないのは、上水道や下水道が整備されているからです。つまり、上下水道インフラの未整備な国や地域ほど気候変動のダメージを受けやすく、洪水や渇水から立ち直るのにも時間がかかってしまうということです。ウォーターエイドの報告書では、世界の貧しい国のほとんどが気候変動への対応力が弱く、それに必要となる安全な水へのアクセスレベルが低いことが指摘されています。安全な水の確保は新型コロナの感染拡大だけではなく、気候変動への対策、ひいては人々の命を救うことにつながるのです。』と言っておいでです。

 これほど、水が暴れ狂う様を動画で見た今、これから地球が内蔵する水と地球を取り巻く水は、どうなっていくことでしょうか。

 『神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。 (詩篇478節)』

 国々を治められる神さまは、地球も天空、宇宙をも治めておいでです。自然界の均衡が破れてしまった様に感じる昨今ですが、神さまの意図を知って、人は、この自然天然の世界に、何をしていくべきなのでしょうか。《治めていく責任》を放棄するわけにも、あきらめるわけにも、人はいきません。

(一滴の水、上総掘りの作業の様子、中村哲氏の著書です)

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私の評価額は

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 今朝読んでいた、「レビ記」の27章に、〈人間の評価額〉が記されてありました。

 『その評価は、次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀五十シェケル。 女なら、その評価は三十シェケル。 五歳から二十歳までなら、その男の評価は二十シェケル、女は十シェケル。 一か月から五歳までなら、その男の評価は銀五シェケル、女の評価は銀三シェケル。 六十歳以上なら、男の評価は十五シェケル、女は十シェケル。 もしその者が貧しくて、あなたの評価に達しないなら、その者は祭司の前に立たせられ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じてその者の評価をしなければならない。 主へのささげ物としてささげることのできる家畜で、主にささげるものはみな、聖なるものとなる。 それを他のもので代用したり、良いものを悪いものに、あるいは、悪いものを良いものに取り替えてはならない。もし家畜を他の家畜で代用する場合には、それも、その代わりのものも、聖なるものとなる。(レビ27310節)』

 年齢によって、人間の評価を、神さまが定められたのです。ある時、長野県に用があって、出かけた時に、高速道路のサービスエリヤに、「姨捨(おばすて)SA」がありました。近くに、姨捨山があるのです。そこには、次のような民話が残っています。

 『昔、年よりの大きらいな殿様がいて、「60さいになった年よりは山に捨(す)てること」というおふれを出しました。殿様の命れいにはだれもさからえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。

ある日のこと、一人のわかい男が60さいになった母親をせおって山道を登っていきました。気がつくと、せなかの母親が「ポキッ、ポキッ」と木のえだをおっては道に捨てています。男はふしぎに思いましたが、何も聞かずにそのまま歩きました。

年よりを捨てるのは深い深い山おくです。男が母親をのこして一人帰るころには、あたりはもうまっ暗やみ。男は道にまよって母親のところへ引きかえしてきました。

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息子のすがたを見た母親はしずかに言いました。「こんなこともあろうかと、とちゅうでえだをおってきた。それを目じるしにお帰り」。子を思う親のやさしい心にふれた男は、との様の命れいにそむくかくごを決め、母親を家につれて帰りました。

しばらくして、となりの国から「灰(はい)で縄(なわ)をないなさい。できなければあなたの国をせめる」と言ってきました。との様はこまりはて、だれか知恵(ちえ)のある者はいないかと国中におふれを出しました。男がこのことを母親につたえると、「塩(しお)水にひたしたわらで縄をなって焼けばよい」と教えられ、男はこのとおりに灰の縄を作り、殿様にさし出しました。

しかし、となりの国ではまた難題(なんだい)を言っていました。曲がりくねったあなの空いた玉に糸を通せというのです。今度も男は母親に、「1つのあなのまわりにはちみつをぬり、反対がわのあなから糸をつけたアリを入れなさい」と教えられ、殿様につたえました。すると、となりの国では「こんな知恵者がいる国とたたかっても、勝てるわけがない」とせめこむのをあきらめてしまいました。

殿様はたいそうよろこび、男を城(しろ)によんで「ほうびをとらす。ほしいものを言うがよい」と言いました。男は、「ほうびはいりません。実は・・・」男は決心して母親のことを申し上げました。

「なるほど、年よりというものはありがたいものだ」と、殿様は自分の考えがまちがっていたことに気づき、おふれを出して年よりを捨てることをやめさせました。それからは、どの家でも年おいた親となかよくくらせるようになりました。(千曲(ちくま)市教育委員会の協力をえて、「姨捨の文学と伝説」からの要約)』

 旧英国海軍の基地のあった軍港の高台に、「老人院laorenyuan」があって、5人ほどで訪ねたことがありました。牧師の娘、医師の長女、教師などの背景を持たれる何人もの姉妹たちと交わりをしたのです。こんな方々のように、老いを迎えたいと思わされるほど、輝いて今を生きておいででした。お父さまやお母さまのことなど、街のこと、出会った人々のことをお話しくださったのです。

 社会の厄介者のように、老人への敬意を忘れていた殿さまもも、その知恵や経験を、後にありがたく感謝するようになったのは、実に聖書的なのです。

 『あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 (レビ1932節)』

 華南の街で、公共バスに座っていた学生さんたちが、ピッと起立して、幾度も席を譲ってくれた経験が思い出されてきます。間もなく外孫が2人、お母さんの故郷回帰に従ってやって来ます。もう、彼らの評価額の方が、私たちよりも、はるかに高くなっているのですが、それでも respect されるのは嬉しいことです。孫たちの訪問を、いつになくワクワクと待っているバアバなのです。

(幕屋で仕える祭司、姨捨山(冠着山)です)

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ご覧あれ❗️

 

 『もう、何で咲かないの!』、蕾ができてから、どれだけ待ったか分からなかったほどで、ヤキモキしていました。この7号台風が近畿中国圏に、大きな爪痕を残して、日本海に抜けたのですが、その余波で、強い風が、ベランダにも吹きつけ、花壇の下におろしたら、今朝、開いたのです。《 sun  parasol giant(サンパラソルジャイアント)》です。まさに、ご覧あれ! です。まだ、100%の開花ではないのzですが、待ちきれずにアップしました。

※ 反省  冬越しの2年目ですが、乾燥気味に一年経ったのですが、きっと、花卉用の肥料やりが足りなかったかも知れません。

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弱き者を顧みられる神

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 自分でも、何度か説教をさせていただいた聖書箇所でしたが、そこを読まれて、ある講義がなされました。どこでかと言いますと、ルーテル派の神学校でだったのです。旧約聖書の担当の教授の最後の講義でした。どんなルーテル神学を聞けるのかと、大きな期待で座席についていたのです。ルターについて語るのか、ルーテル派の伝統的な神学論を語るのかと思いましたら、「旧約における弱者救済の論」を講義されたではありませんか。

 長い間、日本の学生のために講義し続けてきた学者が、任地の日本での教えを締めくくるに当たって、「義認論の旧約的背景」などについて聞けると思っていましたら、孤児や寡や在留の外国人を顧み、支えられる神の愛を語られたのです。

 『在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物を質に取ってはならない。 思い起こしなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを。そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。 あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。 あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。 ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさい。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。(申命記241722節)』

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 生産的、貢献的でない人間への神の顧みということ、寄るべなき者ものを、決して見捨てられない神さまがいて、人にも、寄るべない者を顧みるように要求する神がいらっしゃることに、まさに聖書が知らせる神さまのご性質の最たるものではないでしょうか。

 生きていたって役に立たない人など、価値も意味もないとしている人間社会に、そう言った人々と共に生きるために、心を配り、物を分け与えるように願う神が、聖書の示すお方なのです。強者だけが生き残れるような人間社会に、弱者保護規定を設けられたお方を、神だと知ってから、自分の生き方が変えられたのです。

 男の子ばかりの兄弟の中で、「強さ」を身につけることこそ男の生きる道だと教わったような気がします。喧嘩にも、経済競争にも、出世競争にも、〈強者生存〉の生き方を身につけようとしていた自分に、この憐れみに富み、恩恵に溢れた神、それは精神的なものだけでなくではなく、〈持っている物〉によって、持たない人々の物の不足を、物によって満たし、補い、助けることを示されたのです。

 まさに、〈食べる物〉を、補い、助けて与えることです。イスラエル民族は、奴隷として、エジプトにいた時の、精神的な苦しみ、神の民なのに困難を通り、虐げられた過去を持っていたからです。具体的には、〈食べ物の不足〉の過去を思い出し、今まさに食べ物に困窮する人に「小麦」を、「オリーブ」を、「葡萄の実」を与えるように命じたのです。

 好意を受ける人が恥じて受けることにないようにとの、配慮も、イスラエルの民に要求したのです。〈強さ〉だけが、生き残る手段であるのではなく、今の強さが、今まさに弱さを覚えている人たちの支えとなれるような配慮、恵みあふれる対応を求めているのです。誰も、『足りない!」と言うようなことがないためです。

 今まさに世界中で、春に植えた稲や小麦などの穀物が、大雨の洪水、貯水ダムを保つためになされる放水で、収穫を見ることなく押し流されています。灼熱の旱(ひでり)、旱魃も世界中に見られます。その上穀倉地帯が、戦火で焼かれようとしています。

 強い者が弱い者を、強く力のある時に、弱く力のない時のために、強い者は、弱いものに、憐れみを示すなら、どちらも、神の要求を満たすことができて、共生することができるわけです。神の国の 《 balance sheet 》なのです。驚くべき神の配慮ではないでしょうか。

 この退職する教授の話の内容は、もう忘れてしまいますが、その講義する姿勢、テキストの聖書箇所、講義を聞く者たちへの配慮、何よりも、神を崇めている時間が、尊かったのです。

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この日に思うこと

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 終戦の日に、満八ヶ月だった私は、前年の十二月に生まれていましたから、あの戦争の記憶はありません。ただ、軍需工場の責任を負っていた父は、軍からの支給で、一家を養っていました。ですから生まれてきた私のための産湯の盥(たらい)も産衣も、寝具も、それで賄われていたことになります。

 ですから戦争と自分とは無関係ではなかったことになるのを、大きくなって理解したのです。中国大陸や東南アジア諸国に送られた戦闘機や爆撃機や特攻機には、父の掘り出した鉱石によって作られた防弾ガラスが、組み込まれていて、父の戦争責任を、少しずつ感じ始めたようです。兄たちや弟には、そんな思いはあったのでしょうか。

 戦時下の外地で、どんな蛮行が繰り返されたかを知るにつけ、とくに大陸に対する、責任を感じられるようになるのです。「真空地帯」とか、「二等兵物語」などの映画を観たり、戦争物の小説などを読むに連れて、その思いは、心の底で大きくなっていったようです。

 私が、2007年の夏から過ごした華南の街の郊外にも、日本軍が海岸から上陸し、飛行場を整備したのだそうです。その街に住み始めた頃には、大きなバスターミナルに、転用されていました。そして、近隣の井戸に毒を投げ込まれたことがあった、と地元の人に聞いたりしたのです。日本語の学びのために、わが家に来ていた若者の家に招かれた時に、彼のおばあちゃんは、江蘇省の農村の出で、日本軍の放った村の火事で、腕に大きな火傷を負ったのを知らされました。無理を言って見せていただいたのです。そして、私は心からのお詫びをしたのでした。

 そのことのためにも、そんな戦争責任のお詫びをするようにと、中国に導かれたのだと思わされたのです。私の授業に出ていた学生のみなさんは、『先生と日本軍の侵略とは無関係です。あれは過去に、軍隊が犯したことですから!』と、言ってくれましたが、その街の大きな河川の脇の1kmほどの石板には、その街の歴史が刻まれ、その中に、『日本軍の爆撃により、300人余りの戦死者出る!』とありました。それは過去の悲しい記録だったのです。

 私が、大学の先生たちの集いの中で、証しを頼まれたことがありました。その時に、軍需産業に従事した父の戦争責任、幼児の私のミルクも産衣も軍からの支給であったことなどを話をしたのです。そして返さなければ負債を感じたことが、中国に来た一つのおおきな動機付けだと言いました。それに感動された方たちが、近寄ってきて握手を求めてきたのです。100人近い先生たちの中には、彼らの父や祖父や親族に、日本軍の侵攻の被害者だっておいでだったに違いないのです。

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 福音宣教のためだけではなく、そう言った謝罪の務めもあって、過ごした隣国での13年は、主が設けてくださった機会だったと思い至り、ただ主に感謝をしているのです。父は、私たちが献身する前に、中国に行く前に、すでに天に帰っていきましたから、私たちの過ごした年月や出来事は知らないままでした。

 終戦78年の今日も、世界中では、国と国との戦争があり、民族間の対立が、そこかしこにあります。中国本土と台湾、沖縄との間で、何かが起こりそうな迫りを感じます。大陸の多くの若者たちが兵士になるように招かれていると、先日おいでの訪問客から聞きました。台湾に接する地では、戦争準備がなされているようです。両岸の交流を叫んでいた口が渇く前に、睨み合いになっています。

 冷静になって、何が起こるにかを見極めなければならない時が来ています。どうしても、次の聖書の言葉が思い出されて参ります。

 『また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。(マタイ24612節)』

 「必ず起こること」、避け難い時を、この時代に生きる私たちは迎えるのです。そのために私たちに必要なのは、〈慌てないこと〉です。78年目の8月15日、「終戦の日」に、そんなことを思いました。

(戦時に飛んだ気宇撃機、石英の結晶です)

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行く夏に

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 栃木市総合運動公園から見上げた行く夏空は、もう秋の気配がしているようです。セミの鳴き声も、心なしか、最盛期の声ではなくなっています。

 道筋に、モミジアオイが咲き、私たちの室からベランダを眺めると、例年になく、今季の朝顔は、緑の葉で溢れています。

 家の中には新旧の胡蝶蘭、ベランダには、桔梗、ペチュニア、咲こうとしてなかなか開かないサンパラソルの花があります。そして、真紅の薔薇の花が咲いているのです。

 今週も、日本列島は、猛暑に包まれ、台風が襲来し、日常が破られて、ままならない状況になっています。中国の東北部やノルウエーでの洪水には、驚かされています。ハワイのマウイ島では山火事で、多くの人が亡くなっております。ただ被害の少ないことを祈るのみの〈行く夏〉です。

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そのひたむきさがいい

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 〈バーチャル高校野球〉と言うネットの放映で、甲子園大会に出場の高校野球の選手が、挨拶のために、帽子を取ると、長髪なのを見て、ちょっと驚きました。あるチームは、クリクリ頭の一厘刈りなのに、その違いが、今らしくて面白いなあ、と思ったのです。まさに、〈多様性の時代〉なのでしょう。

 すぐ上の兄が、高校球児で、やはり坊主頭でした。1974年に東京都の予選は、東西に二分して、東東京と西東京から、それぞれ一校ずつ選出されるようになるのですが、兄たちの頃は、一校のみでした。自分たちの属する都道府県の代表校として選ばれたのです。

 戦前は、台湾からの参加もあって、嘉義農林学校が代表校で、甲子園の土を踏んでいるのです。第十七回全国中等学校優勝野球大会に出場し、勝ち進んで、準決勝で小倉工に10-2で圧勝。最後の決勝の中京商業戦では、0-4で負けてしまったのですが、準優勝をして、映画化もされています。

 今年の出場校のうち、栃木の県大会を勝ち抜いて、選ばれたのが文星芸術大学附属高校でした。20人のベンチ入り選手中、県内の中学からのメンバーは17人でした。県予選で負けた作新学院は19人が県内出身だったのです。その反対に、県内出身者の少なかったのは、島根県の江の川高校は2人、山梨県の山梨学院は3人、高知県の明徳義塾が5人でした。公立の徳島商業は全員が徳島県勢です。

 多くのチームが野球留学の生徒たちで構成されていて、名門への進学、県予選の学校数の少ない県への進学(野球留学)が、甲子園への道になっているのは、ちょっと逸脱していて、企業野球のようで寂しい限りです。

 でも、野球をする部員たちは、下向きな努力で、競争して代表選手に選ばれてベンチ入りしているのです。そのプレーも顔付きも素敵です。去年も今年も福島県代表になった聖光学院の校歌に、『復活(よみがえり)の主』とあって、昨年も今年も驚かされたのです。学問の向上だけではな、そんな信仰上のことを表現する学校の姿勢に、隣県ですが応援してしまったのです。

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 もう一度高校生になれたなら、今度は野球部に入ろうと思うのです。アメリカ生まれのスポーツなのですが、日本的な展開をしている高校野球に面白くて、惹きつけられるからです。大人の目、プロ野球人の目でではなく、野球好きな爺さんの夢なのです。白球を投げ、打ち、追い、捕る汗まみれ土まみれで励む、お金に無縁な、《直向(ひたむき)さ》の世界の野球がいいからです。

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自転車乗りの決意

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 私たちに住む栃木県の県都は、「宇都宮市」、戦国の世、下野国の宇都宮氏の支配のもとにあり、江戸から奥州に至る奥羽街道の要衝の地だったのです。戦国時代には、滋賀の蒲生秀行が支配し、江戸期に、宇都宮藩の初代藩主に、奥平家昌がつき、本田、阿部、戸田、松平と、改易、就任と入れ替わりに藩主が、幕府の管理の下に、移り変わっていたそうです。

 今では、「50万都市」となり、明治初年には、栃木市が、県庁所在地であったのですが、県令(当時の知事です)の三島通庸(9薩摩藩士)の決定で県都になっています。時代の移り変わり、電車や道路の整備によって、中心が、宇都宮市に移されて今日に至っています。

 この街は、「雷都」と異名をとっていて、「雷(らい)さま」と呼ばれるほどです。戦後、大陸から戻った方によって作り始められた、浜松と競い合う「餃子の街」にもなっています。ちょっと小ぶりですが、佐野ラーメン店の作る物もボリュームがあって美味しいのと、ちょっと違った味がするようです。

 また、この街は、「自転車の街」とも言われているそうです。同じ県民として、自転車利用をしている者でもありますので、四輪の自動車と同じ「車両」でもある自転車を、規則に従って乗る義務を、再確認しているところです。警視庁では、自転車が事故を起こすことが多い昨今の事情を見て、〈反則切符〉を切ることを検討しているようです。毎日新聞は、次のように報じています。

 『警察庁は3日、軽微な交通違反で「青切符」を交付して行政罰である反則金を納付させる「交通反則通告制度」の対象に、自転車を新たに加えることを検討すると発表した。刑事罰を科す手続きに入る「赤切符」(交通切符)による取り締まりの対象にはなっているが、検挙件数が急増する一方で、ほとんどの違反者は起訴されていない。警察庁は有識者会議を設置し、年内に提言を取りまとめた上で、2024年の通常国会への道路交通法改正案の提出も視野に進める。』

 父の自転車が家にあって、小学校に入ったばかりの頃に、自転車の乗り方を、兄に教えてもらったのです。学び方が悪かったのか、右乗り右降りで、今日まで自転車に乗ってきているのです。もちろん左乗りもできますし、左側で自転車を押すこともします。排気ガスは出しませんし、健康管理にも、有酸素運動にもなり、何よりも、利用が簡便でいいのです。

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 警察庁によりますと、どん違反が多いのかと言いますと、信号無視や一時不停止だそうです。確実に、違反件数は増え続けているので、法規制はやむを得ないのかも知れません。こんな、自転車乗りに関わる、標語のような俳句があります。

ひと呼吸 焦らずゆっくり 踏むペダル

 あわて者のお爺さんも、こんな motto が必要なのでしょう。今年は、車に追突されて、市警の現場検証をしてもらうような、事故にあってしまいましたから、より注意の毎日です。しっかり、helmet を被って、35℃ の中を、爽快に、そして注意深く走っております。

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