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『彼衆多の民の間を鞫き強き國を規戒め遠き處にまでも然したまふべし。彼らはその劍を鋤に打かへ、その鎗を鎌に打かへん。國と國とは劍を擧て相攻めず、また重て戰爭を習はじ、 皆その葡萄の樹の下に坐しその無花果樹の下に居ん 之を懼れしむる者なかるべし 萬軍のヱホバの口之を言ふ 。 一切の民はみな各々その神の名によりて歩む。然れども我らは、われらの神ヱホバの名によりて永遠に歩まん。(文語訳聖書 ミカ書4章3-5節)』
また、葡萄の季節が巡ってき、果物売り場に並び始めました。父が好きでしたので、父の友人から、苗木をいただいて、引っ越し先の庭に植えたことがありました。今の時期を飾っているシャインマスカットや巨峰やピオーネなどよりも、もう少し遅い時季に収穫されて、出回る種類の葡萄なのです。
そのいただいた葡萄は、「スチューベン」という種類で、香りが良くて、今はやりの甘くて、大粒の改良種のものとは違って、懐かしさを感じさせるのでしょうか、父が好きだったからでしょうか、決して人気種ではないのですが、子どもの頃を思い出させてくれるので、それが特愛の私なのです。
今は、主に青森県を中心に、生産されていて、貯蔵ができる糖度の高い葡萄ですから、年明けの、二月頃にも食べられるのです。市内の北、西方(にしかた)にある道の駅で売っているのを見つけ、時々買い求めていました。
このスチューベンは、アメリカ産の葡萄で、ニューヨークの農園で、太平洋戦争後に栽培が始まったそうです。その苗木を下さった方は、日本橋で、二百年も営業してきた「千疋屋(せんびきや)」で長く働き、故郷の甲府に戻ってから、青果店をされた方で、青果商の組合の責任者として長く、八百屋さんや果物屋さんたちのお世話をされた方だそうで、父が懇意にしていました。なぜか、私を、『準ちゃん!』と呼んでくださった方なのです。
果物屋さんの友人が、父にいた関係で、時折り、旬の果物が、わが家に送られてきたのです。その一つで、季(すもも)の一種で、「ソルダム」がありますが、これも父が好物だったので、よくいただいたのです。「父の嗜好」を子が受け継ぐのでしょうか、それとも、美味しそうに食べていて、それを食べさせてもらったからでしょうか、李の中では、このソルダムが一番に好きなのです。
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このソルダムも、アメリカからやってきた果物で、プラムに次いで生産量の多い種類なのだそうです。先日は、「まちの駅」で、ネクタリン🍑を買ってきました。もう少し、追熟した方が良さそうなので、二、三日置いてから食べたのですが、美味しかったのです。
また大きな庭でしょうか、畑をお持ちの友人が、ご主人のお父さまが、残した畑で、野菜や果物を、ご主人が、お仕事に出かける前の早朝や、お休みに日に、畑仕事をされていて、奥さまもお手伝いをしておいでなのです。時々、その労作の旬の物を届けてくださるのです。
子どもの頃、街中に農家があって、柿や栗や無花果(いちじく)やグミやイチゴを植えていて、「農家の子」が羨ましくて仕方がありませんでした。とくに無花果が好きで、通学路をちょいと外れたところにあった家の庭、その道路寄りの箇所に、この無花果が植えられてあって、実りの季節になると寄り道をして、熟したのを失敬したのです。
その家のご主人は、父の仕事上の知り合いだったようで、お嬢さんは、私が学んだ学校の先輩でした。ご主人とカルフォルニアで、今も日系人教会で牧会をされておいでの方なのです。いつでしたか、〈ごめんなさい!〉のメールを出したことがあり、笑われてしまいました。ご両親は、もう亡くなっていたからです。
『李下に冠を正さず!』なのに、正すことなく、無花果下で盗み食いをしてしまった、しかも常習者であったわけで、お恥ずかしい限りです。それでもイチジクに目がないのです。もちろん今は、買って食べております。
ついでにもう一つ、「桑の実(ドドメ)」があります。この実を砂糖とお酒で漬けた果実酒が美味しく、梅酒のように水で割って飲んだのです。礼拝にお見えだった老姉妹からいただきました。実に美味しかったのです。あの時だけでしたが、その後、飲んだことがありませんが、また飲んでみたいと、この街では、なかなか見かけることがありませんが、先週、売っていて買い求めました。懐かしい味がしてきたのです。
このように、多種多様な季節毎の果物は、神さまからの素敵な季節季節の《贈り物》に違いありません。これから秋にかけて、果物の季節がやってまいります。
(ウイキペディアによる甲州葡萄、ソルダムです)
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