番傘さしと下駄履き

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 作詞が北原白秋、作曲が中山晋平の「あめふり」は、この季節になると思い出されてきます。竹製で油紙をはった番傘の時代、その傘をかざして、足には下駄を履いて学校に出掛けました。

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

 2019年の正月から、下駄の商いで栄えた街に住み始めて、6年目になりました。もう閉めてしまった問屋さんの家屋が、シャッターを下ろして、図書館への道の際にあります。桐や朴木(ほうのき)や杉が材料でした。きっと、杉並木の多い土地柄で、素材入手が容易だったからでしょうか、一般向けには、杉下駄が作られていたのでしょう。盛んだった頃が偲ばれます。

 今、住むアパートの以前の大家さんは、下駄屋さんだったそうです。家も道具も、木で作る日本では、木から作った紙も、生活の中で重用されてきました。触っても、つかんても、嗅いでも、唇で触れても、何にでも馴染むのは、木、草、藁からなる日本文化なのでしょうか。

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 実は、あるご婦人からいただいた木目の美しい下駄を持っているのです。亡くなられたご主人が履こうと、しまっておいた物だそうです。これを履いて外出したいのですが、アスファルトの上では、けっこう大きな音がするので、履きそびれて、宝の持ち腐れでおります。もう目立ちたがりたい年齢ではないからなのでしょうか。

 通学で、新宿駅の乗り換えの地下道、西口と東口を結んでいた通路があった1960年代の中頃、この下駄履き(弟の朴葉下駄を借りて)で、通学したことが何度かありました。高下駄で、鼻緒を足指で掴んで、カランコロンと音を立ててでした。目立ちたがりの年頃だったのでしょうか、恥じずに自慢げに履いていたのを思い出すと、赤面の至りです。

 まるで江戸や明治の時代に、タイムスリップしてしまいそうな話ですが、六十年も前の話は、おとぎ話か、異星人の話のように聞こえそうです。

 お隣の国にいた時に、公園の中の売店に、この傘が売られていました。買おうか、買うまいか悩んだ末、諦めてしまったのです。日本だって、浅草辺りに行けば、下駄だって番傘だって、もしかしたら、雨具の簑(みの)だってあるかも知れませんね。

 昔の道具や日用品が懐かしく思い出されるのは、それだけ歳を重ねてきたからなのでしょうか。鋳型で作ったプラスチック製の履き物が、ベランダの出口に置いてありますし、ゴミ捨てに行く時に、ちょっとつっかけて履くために、玄関にもありますが、ごく近距離移動用です。そのかわりに下駄を玄関に置いてみましょうか。

(ウイキペディアの傘張り風景です)

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