報道の自由と責任

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 『良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる」とシオンに言う者の足は。 (イザヤ527節)』

 事実を伝える、これが報道の使命です。『もう紙の時代ではなくなったよ!』と十数年前に、下の息子が言っていましたが、もう新聞の時代ではなくなってくていそうです。もちろんラジオも、そしてテレビさえも。今ではインターネットの情報発信に譲った感がします。その〈即時性〉が持ち味のネットが発信する情報は、最新のニュースが伝わるからなのです。

 でも、だれでも発信できますから、悪用されて、事実と異なる情報や迷惑情報が多くなっているのも事実です。事故や災害による死者数を、ある国では、大災害ににもかかわらず、死者が20人、30人と言う、公の知らせには、驚かされてしまいます。国の威信を揺るがしかねないので、そんな正しくない報道がなされて、かえって人々は、不信を募らせているケースが、多くみられます。

 それはよその国のことではなく、事実を伝えていないのは、私たちの国でも同じです。『こんなことを伝えたら、社会が混乱してしまう!』という理由でしょうか、『知る必要がないから!』とでも判断して、真実が伝わらないことも多いのです。

 こんなことがあったのです。『勝った、勝った、また勝った!』、戦時下の新聞やラジオ放送で、事実を隠して、軍の威信を保つために、報道が管理され、統制されていましたので、事実の報道がなされないままで、国民は負け戦を知らされないまま、敗戦を迎えた経緯がありました。

 日本国憲法の「第二十一条 」に、『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 検閲は、これをしてはならない。 通信の秘密は、これを侵してはならない。』とあります。

 平和を取り戻した日本では、憲法の条文に従って、「表現の自由」の決まりに従って、報道の自由を得たのです。事実報道こそが、報道に携わる者の使命だと、やり直したわけです。『みんなが事実を知ったら混乱や、パニックが起こるので!』と言うような理由付けで判断が下されるなら、それはいつの時代でも、どの国でも危険極まりないからです。そこで、官憲や軍や特定の団体、信者数の多い宗教団体の偏向報道、宣伝を規制してきたのです。

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 これまで、この私のブログでは、思うこと、子や孫や友人に伝えたいことを、思いのままに書き続けてきました。政治批判はしたつもりはなく、ただ個人の見解ですが、ただ事実だけを伝えるにとどめています。父や母の時代には、難しい時代があったのですが、自分たちは、平和憲法のもとに、良い時代を生きてきましたが、今、国際情勢の難しさの中で、報道や表現が微妙になっている様に感じています。

 人心を乱す様な、悪意に満ちた情報が、多くなりつつある中で、《だれに聞くか》は重要なことになっています。撹乱されないで、騙されないで、良質、優良な情報に、耳を傾けたいものです。

 聖書の発信者は、天地の造り主でいらっしゃる神さまです。平和で、安心を約束されて生きていける様に意図された情報が、発信されています。それこそが、「良き知らせなのです。唯一、嘘偽りのない《知らせ》は、神さまからきます。

(「江戸の100人展」から瓦版を売るかわらばん屋です)