私の評価額は

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 今朝読んでいた、「レビ記」の27章に、〈人間の評価額〉が記されてありました。

 『その評価は、次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀五十シェケル。 女なら、その評価は三十シェケル。 五歳から二十歳までなら、その男の評価は二十シェケル、女は十シェケル。 一か月から五歳までなら、その男の評価は銀五シェケル、女の評価は銀三シェケル。 六十歳以上なら、男の評価は十五シェケル、女は十シェケル。 もしその者が貧しくて、あなたの評価に達しないなら、その者は祭司の前に立たせられ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じてその者の評価をしなければならない。 主へのささげ物としてささげることのできる家畜で、主にささげるものはみな、聖なるものとなる。 それを他のもので代用したり、良いものを悪いものに、あるいは、悪いものを良いものに取り替えてはならない。もし家畜を他の家畜で代用する場合には、それも、その代わりのものも、聖なるものとなる。(レビ27310節)』

 年齢によって、人間の評価を、神さまが定められたのです。ある時、長野県に用があって、出かけた時に、高速道路のサービスエリヤに、「姨捨(おばすて)SA」がありました。近くに、姨捨山があるのです。そこには、次のような民話が残っています。

 『昔、年よりの大きらいな殿様がいて、「60さいになった年よりは山に捨(す)てること」というおふれを出しました。殿様の命れいにはだれもさからえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。

ある日のこと、一人のわかい男が60さいになった母親をせおって山道を登っていきました。気がつくと、せなかの母親が「ポキッ、ポキッ」と木のえだをおっては道に捨てています。男はふしぎに思いましたが、何も聞かずにそのまま歩きました。

年よりを捨てるのは深い深い山おくです。男が母親をのこして一人帰るころには、あたりはもうまっ暗やみ。男は道にまよって母親のところへ引きかえしてきました。

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息子のすがたを見た母親はしずかに言いました。「こんなこともあろうかと、とちゅうでえだをおってきた。それを目じるしにお帰り」。子を思う親のやさしい心にふれた男は、との様の命れいにそむくかくごを決め、母親を家につれて帰りました。

しばらくして、となりの国から「灰(はい)で縄(なわ)をないなさい。できなければあなたの国をせめる」と言ってきました。との様はこまりはて、だれか知恵(ちえ)のある者はいないかと国中におふれを出しました。男がこのことを母親につたえると、「塩(しお)水にひたしたわらで縄をなって焼けばよい」と教えられ、男はこのとおりに灰の縄を作り、殿様にさし出しました。

しかし、となりの国ではまた難題(なんだい)を言っていました。曲がりくねったあなの空いた玉に糸を通せというのです。今度も男は母親に、「1つのあなのまわりにはちみつをぬり、反対がわのあなから糸をつけたアリを入れなさい」と教えられ、殿様につたえました。すると、となりの国では「こんな知恵者がいる国とたたかっても、勝てるわけがない」とせめこむのをあきらめてしまいました。

殿様はたいそうよろこび、男を城(しろ)によんで「ほうびをとらす。ほしいものを言うがよい」と言いました。男は、「ほうびはいりません。実は・・・」男は決心して母親のことを申し上げました。

「なるほど、年よりというものはありがたいものだ」と、殿様は自分の考えがまちがっていたことに気づき、おふれを出して年よりを捨てることをやめさせました。それからは、どの家でも年おいた親となかよくくらせるようになりました。(千曲(ちくま)市教育委員会の協力をえて、「姨捨の文学と伝説」からの要約)』

 旧英国海軍の基地のあった軍港の高台に、「老人院laorenyuan」があって、5人ほどで訪ねたことがありました。牧師の娘、医師の長女、教師などの背景を持たれる何人もの姉妹たちと交わりをしたのです。こんな方々のように、老いを迎えたいと思わされるほど、輝いて今を生きておいででした。お父さまやお母さまのことなど、街のこと、出会った人々のことをお話しくださったのです。

 社会の厄介者のように、老人への敬意を忘れていた殿さまもも、その知恵や経験を、後にありがたく感謝するようになったのは、実に聖書的なのです。

 『あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 (レビ1932節)』

 華南の街で、公共バスに座っていた学生さんたちが、ピッと起立して、幾度も席を譲ってくれた経験が思い出されてきます。間もなく外孫が2人、お母さんの故郷回帰に従ってやって来ます。もう、彼らの評価額の方が、私たちよりも、はるかに高くなっているのですが、それでも respect されるのは嬉しいことです。孫たちの訪問を、いつになくワクワクと待っているバアバなのです。

(幕屋で仕える祭司、姨捨山(冠着山)です)

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