学んだ学校で、先生には、〈おまけ点〉をもらった記憶はないのですが、駄菓子屋さんには、〈おまけ〉があったのです。五円や十円を手に、駄菓子屋に、お菓子を買いに行くと、時々、そのおまけをもらったことがあって、すごく嬉しくなって、それでまた買いに行ったのです。
若い頃、出張した晩に、ぶらっと街に出て、普段はやらない、「スマートボール(縦に置かれているパチンコに似ているのですが、平台で、手前が低くて、ボールが手前に戻ってきて、空いた穴を狙って、ゴルフボールの半分ほどのボールを、手のひらで、スプリングのついたバットの先をポンと押し出して、台の中に穴に埋めるゲーム)があって、それを暇にまかせてやっていました。
横並びに揃うと、ザーッとボールが流れ落ちてきて、数によって賞品がもらえるのです。世話役の若い女性が、通るたびに、ザーッとスマートボールを落とすのです。あれって、〈おまけ〉じゃあなくて、彼女に気に入られた特別サーヴィスだったのでしょう。何かのモーションだったかも知れませんが、つまらなくなって、宿に帰ってしまいました。
若い日に、隙があったからでしょうか、脇の身構えが甘かったのか、何か危なっかしいことが、よくありました。誘惑にさらされながらも持ち堪えさせていただいて、主のもとに帰ることができたのは、ほんとうに憐みーだったのです。
世知辛い人生には、〈おまけ〉があるのでしょうか。功なき者が、冠を受けたり、褒賞をいただくことがあるのでしょうか。先週の日曜日に、「予定」についての説教を聞きました。そう、ちっとも良くない自分が、この永遠の命への救いに預かったのは、神さまが、前もって救いに選び、予定してくださったからだと言う話でした。
『知りなさい。あなたの神、主は、あなたが正しいということで、この良い地をあなたに与えて所有させられるのではない。あなたはうなじのこわい民であるからだ。(申命記9章6節)』
イスラエルが、長いエジプトでの奴隷生活から出て、「恵みの地」に入ったのは、『あなたが正しいからではない!』との言明のように、繰り返し、そう言われてきたのです。不従順のイスラエルの民、ずっと反抗の民であり続けた彼らを、荒野で40年もの間、天来の糧の「マナ」で養われ、十二分に養われながら、それでも不満で、この民の思いはいっぱいでした。実に反抗的だったのです。
その慈愛に満ちた取扱いは、神さまの恵み、いつくしみ、憐れみに溢れていたのです。私も、私の家内も子どもたちも、着る着物は擦り切れず、雨露をしのぐ住む家を与えられ、食べ物も、必要の全ては、神さまが備えててくださいました。
コロナ明けで、長女が単身で2週間ほど帰って来て、主人のもとに帰って行きました。そして次女家族が1週間ほど前にやって来たのです。この日曜日には、長男家族と次男夫婦が、私たちを訪ねてくれ、家族礼拝を共にしました。
【10000 reasons】
主をたたえよ たましいよ
聖なる名を
心全て 捧げ 賛美します
日が昇る 今日もまたあなたに歌おう
どんなことが起こったとしても
賛美歌い続ける
主をたたえよ たましいよ
聖なる名を
心全て 捧げ替美します
愛溢れやさしい神
あなたのしてくれたことを何も忘れないように
歌をくれたあなたへ
主をたたえよ たましいよ
聖なる名を
心全て 捧げ 賛美します
弱って立てなくなり
終わりが迫る頃
まだ私は歌うだろう
永遠に止まぬ賛美を
主をたたえよ たましいよ
聖なる名を
心全て 捧げ 賛美します
【Goodness of God】
E V
I love You Lord
Oh Your mercy never fails me
All my days
I’ve been held in Your hands
From the moment that I wake up
Until I lay my head
I will sing of the goodness of God
E C
All my life You have been faithful
All my life You have been so, so good
With every breath that I am able
I will sing of the goodness of God
J V
尽きない 恵みと 主の御手に
抱(いだ)かれ、守られてきた
愛する主の 慈しみを
おぼえて 日々 賛美する
J C
あなたは 忠実で
恵みを注ぎつづけた
命の ある限り
歌おう 主の愛をおぼえ
J Bridge
あなたの恵みと いつくしみが
生きてる限り 追いかけてくる
この人生 今すべて
主にゆだねる
溢れる 恵みが 追いかけてくる
E Bridge
Your goodness is running after, it’s running after me
Your goodness is running after, it’s running after me
With my life laid down, I’m surrendered now, I give You everything
Your goodness is running after, it’s running after me
そして、一人一人が、この1週間のことを分かち合いながら、主の忠実さに感謝したのです。まさに、そこにあったのは、「家の教会」でした。2人の曽祖母の信仰を継承した曾孫たちも加わり、最後に、いちばんの年若の次女の娘がお祈りをしてくれました。感極まるような礼拝でした。
功なき者への《恩寵》、《慈愛》、《憐み》でした。俗っぽく言いますと、チッともよくないものへの《おまけ》なのです。《おまけ》ばかりの中を生かされてきて、今もその中にいられるのは感謝だけです。
( Christian clip arts のイラストです)
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