真夏の華

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 『仕掛け花火のような・・・』と形容される人の一生ですが、尺玉のような大輪なのか、パチパチと光る線香花火なのか、この仕掛けの大掛かりな花火なのか、自分の一生は、どれに当てはまるのだろうか、と考える季節になりました。

 大曲、長岡、隅田川などの地は、打ち上げ花火が盛んで、コロナ禍で開催を見合わせてきたからでしょうか、今年は、満を持して打ち上げと、花火の開く炸裂音がこだましているようです。風物詩としての「花火」は、どなたにもきっと懐かしい記憶がおありなのでしょう。

 東武日光・鬼怒川線の新栃木駅前のお店に、遊戯用の花火が並んでいて、通りすがりに覗き見をしてみました。商業用では、花火玉の価格は1尺玉で5万~10万円、3尺玉で約150万円、4尺玉は約250万円(2023年現在)なのだそうで、〈一発250万円〉には驚かされてしまいました。

 2010年8月に、下の息子の招待で、京王線桜ヶ丘駅に近い、多摩川の河川敷で、花火大会がありました。事前に席を予約してくれて、一年ぶりに帰国した私たち両親を招待してくれたのです。家内は、どうしても都合が取れなくて、私だけで出かけたのです。遠くから眺めるよりも、打ち上げ音がして、真上で花開く花火は圧巻でした。 

 『来年はお母さんも一緖に観たいな!』と息子に言いましたが、一卓四席で3万2000円だと値段を聞いて、驚いてしまったのです。その席に、フライドチキンを注文して、テーブルで食べた味が忘れられません。それは、大きな親への愛で楽しませようとしたのです。その心意気に触れて、親冥利に尽きる感じがして、本当に嬉しかったのでです。

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 大掛かりではなかったのですが、父が、花火を買ってきてくれて、庭で一緒に火をつけて、花火遊びをしたことが、子どもの頃にありました。かがんだ父が、線香花火を持って、パチパチと火花を飛ばすのを見入ってる父の表情が、なんとなく朧げで、普段の父と違ったものがあったのが、思い出されて参ります。

 どんな花火でも、音の後に火花を煌めかせ、音も火花も消えて煙を残すだけで、その煙も薄れて消えてしまいます。あの火薬の匂いが、鼻腔に残っているだけのひと時ですが、その儚(はかな)さが、かえって、日本人にはいいのでしょうか。残影が残るだけですが、数秒の花の火の舞いは、子ども心を楽しませてくれるには十分だったのです。

 今度花火屋さんの前を通ったら、それを買って帰ろうかなと思っています。この季節がもたらす郷愁に、きっとひたりたいのかも知れません。上海の「外灘waitan のそばにあった「CAPTAIN 船長」と言うホテルに泊まったことがありましたが、そこの近くに、大阪や神戸とを結ぶ航路の波止場があって、何度も乗り降りをしたことがありました。

 その外灘で、吉良常が花火師になっって、腕を失うくだりが、尾崎士郎の著した「人生劇場」にありました。かつて上海にあった日本租界の住人たちが、この時期に、景気付けで、花火を上げていたのでしょう。その港を出た船が、東シナ海を渡ると、やがて五島列島の島陰が見えてくるのです。上海に向かう航路でも、大阪に帰る航路でも、なんとも言えない心の動きが、その辺りにはあったのです。父の青年期に、きっと、同じ航路で、下関あたりから船旅をしたのだろうと思うと、一入(ひとしお)思いが懐かしさを呼び戻すのです。

( 越後長岡花火大会の花火、先行です)

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