あらゆる悪の根

.

 

 添田唖蝉坊と言う、演歌師がいました。明治、大正期に、近代化していく日本の世の中の矛盾や汚点を取り上げて、歌によって社会風刺をしいた方で、非暴力、権力に阿(おもね)ることのないこの方の歌は、痛快だったようです。「演歌」の原点とも言えるそうで、『演説の歌である!』と言っています。そんな多くの歌の中に、「金金金節」がありました。

金だ金々 金々金だ 金だ金々 この世は金だ
金だ金だよ 誰が何と言おと 金だ金だよ 黄金万能

金だ力だ 力だ金だ 金だ金々 その金欲しや
欲しや欲しやの 顔色目色 見やれ血眼 くまたか眼色

一も二も金 三・四も金だ 金だ金々 金々金だ
金だ明けても 暮れても金だ 夜の夜中の 夢にも金だ

泣くも笑うも 金だよ金だ バカが賢く 見えるも金だ
酒も金なら 女も金だ 神も仏も 坊主も金だ(以下省略)

 『金がなくては何もできない!』と言うことで、〈お金第一〉の風潮というのは、明治や大正の世にあったことだけではなく、令和の今でも同じです。あらゆることがお金とつながっているからです。太陽光発電も海洋エネルギー発電など、新しいエネルギー源の開発は、政府からの援助で潤う、絶好の機会なので、金儲けの機会になっているのでしょう。

.
.

 金が亡者なのではなく、〈天下の回りもの〉なのに、個人や団体が占有するので、流通しないで、カビが生え、腐敗して異臭を放ってしまうのです。亡くなった後の、残されたものの中に、貯められたお金が残されていたと言う事例が多くあります。流通しないで貯め隠されてもお金はただの紙切れなのにです。

 お金ではなく、《愛》の動機で、ことがなされるなら、個人も国も潤い、素晴らしい社会ができるのです。大陸や東南アジアへの侵略だって、〈カネ〉のためだったのです。その求めの帰結は、滅びや衰退でした。そう歴史が証明しています。聖書は言います。

 『金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。 1テモテ610節)』

 一昨日の七時のNHKニュースで、洋上風力発電の資金提供の問題が取り上げられています。お金に群がった男や組織の末路は、苦いものです。〈黄金万能〉だと信じるか、《博愛万能》、《愛神万能》と確信して生きるかによって、人の一生は変わってしまいます。夢幻の黄金の夢から醒めて、天国を目指して進んでいきたいものです。

.

人は神になれるのでしょうか?

.

 

 権威の座に上りつめて天下人となった者も、その後継者も、この人の同調者も、この偉業を遂げた人物を、〈神の座〉に就かせたい願いが強固にあるのでしょうか。

 昨日の市民大学教養講座は、徳川家康を取り上げて、国学院大学栃木短期大学の坂本達彦教授の講義がありました。「徳川家康の半生と下野国」と題してでした。この栃木との関わりを中心に、「神としての家康」についてお話があったのです。東照大権現、不動明王、神として家康の亡骸(なきがら)は、その子・二代将軍秀忠が造営した日光東照宮に納められてあるのです。

.
.

 まず、スクリーンに、その家康を描いた絵が映し出されたのです。『徳川家康三方ヶ原戦役画像』と言われているものです。およそ江戸期以前、人物を描く時、ほとんどの画が、斜めに顔を向けた姿が描かれています。ところがこの絵は、真正面から描かれてあるのです。講師は、家康の座る椅子に聞き手を注目させて、この椅子は、戦場では座ることのない物であることを言いましたから、画が戦場の家康であるのは誤りあるとしています。表情も、足組も独特です。少なくとも、〈神とされた家康〉が、ここに描かれているのです。

 大権現、東照宮という名で、礼拝を目的に、神格化された、神とされた家康を描いたのだと解説しておられました。家康がなくなった時には、家康の子の秀忠は、亡骸を久能に埋葬し、後に日光に改葬し、日光東照宮に神格化された家康を祀ったのです。その資材は、江戸から利根川、渡瀬川、巴波川を経て運ばれています。

 織田信長(15341582年)、この人の死後に豊臣秀吉(15371598年)、この人の死後に徳川家康(15431616年)が、群雄割拠の戦国の世を平定して、征夷大将軍となり、260年の徳川幕府を開幕しました。

 死して神となって祀られている家康が、関東平野全域を、今も霊的に支配しているから、そのために祈らなければならないという人たちがおいでです。日本一の高い富士山に登って、そこから霊的な支配を打ち破り、日本を支配するキリストなるイエスの名を宣言する人たちもいました。

 全天全地は、神の支配の元にあります。イエスさまは王の王、主の主、栄光の王、万軍の王でいらっしゃいます。高い山に登らなくても、普段の場所で賛美し、御名をほめたたえ、感謝することでよいのではないでしょうか。私は、毎日、神の御名をあがめ、神の国の到来、世の初めからよいことをなされる神のみ旨の今日の分がなされるように、信じて祈っています。またエルサレムの「平安」、遣わされた自分の住む街の「平安」、これまで遣わされた街々、子どもたち四人の住む街の「平安」を、静かに祈るのです。

 霊的な格闘というようなことは致しません。あえて言うなら、イエスさまの勝利を告白し、賛美し、感謝しているでしょうか。家族や親族や友人や主にある兄弟姉妹、近隣のみなさんの祝福を願って祈ってもいます。思いの中に示されたことも祈るようにしています。もちろん自分の生まれて住む国のために、そして世界のためにも祈ります。

.
.

 家康は、数度、この下野国を訪ねていますが、亡くなった後、棺に収められて、葬送の道を、久能山から上野国の館林、佐野、後に「例幣使街道」と呼ばれる道を通って、日光の地に葬られているのでしょう。そこで今も神として支配しているとは信じていません。すでに死した物故者であって、人や社会や国家に影響力を及ぼすことはできないのです。やがて、父なる神の御前に出るのです。

 昨日は、低冷房の市民会館で、汗を流しながらの聴講でした。テレビで、家康が取り上げられているそうですが、テレビを置かないわが家は、史実通りに描かれているのかが気になります。裏切り、謀反、寝返りのあった世を、家康が天下人に上り詰めたのには、驚きを隠し得ません。隣の小山市では、「評定(ひょうじょう)」があって、会津攻めをやめ、関ヶ原の戦いに、家康が向かっています。歴史のなかの人間模様が興味深くてなりません。

.