神さまが定められた、天然自然の秩序があります。自然界が、天と地、光と闇、朝と夜、陸と海、男と女、人と動物、人と植物など、そこには、驚くべき区別と順序、役割の違い、互いの均衡が、創造の神さまによって定められています。順序よく創造の業がなされるたびに、神さまは、次にように言われました。
『神はそれを見て良しとされた。(創世記1章10、12、18、21、25節)』
とです。その六日間の創造を終えた時には、次のように言われたのです。
『神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。(創世記1章31節)』
とです。その御業には、非常に、はなはだ良い「区別」、「順序」、「役割」、「区別」、「均衡」、つまり「秩序」があったということです。
『神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記1章28節)』
その神の定められた秩序の中に、人は造られたのです。地に人が、作物が、動物が、あらゆるものが、生命に溢れて満ちるように、定められたのです。そのことを、内村鑑三は、次のように言いました。
『神の定めたまいし順序があります。「女のかしらは男なり。男は女より出でしにあらず。女は男より出でしなり。男は女のために作られしにあらず。女は男のために造られしなり」とあります。男は神の代表者として造られ、女は男の補助者として造られたのであります。共に神に仕うべきであります。しかし男は指導者として、女は助け手として仕うべきであります。この場合において、妻が夫に従うは、神に従うの道であります。従うは、従わるるだけ、それだけ神聖でありまた名誉であります。神の律法に従うところにおいてのみ、真の自由があります。男は神をかしらに戴いて真の自由を得、女は神の代表者なる男をかしらに戴いて、これまた真の自由を得るのであります。(1928年5月『聖書之研究』)」
人が、いただいた生命を謳歌するために、すべての《もの》が秩序正しく造られたのです。ところが、人類の始祖が罪を犯した時に、その「秩序」が狂ったのです。殺人事件が起こり、自然の暴威が起こり、人と人、村と村、国と国、人と自然との関係に齟齬が来たり、創造の秩序を乱して、今日に至っています。〈罪の刈り取り〉、蒔いたものを刈るという結果が、近時、世界に見られる、世界中を襲う洪水や強風や犯罪であります。
社会科の授業で、「国土保全」について学びました。それは、国民の義務です。国土を治め、人を治め、家庭を治める責任です。生活のために与えられた生活環境を、保護していく必要がだれにもあります。
アフリカ大陸や南アメリカのアマゾンや東南アジアの密林が、世界の気候や環境の保全のために、驚くべき役割を果たしていることを学んできましたが、手付かずの自然が、用地開発のための手を入れ、その地球規模の均衡が崩されてしまっているのです。それが、今日世界中で起こっている異常気象、自然災害の大きな原因の一つなのです。
砂漠化した地に木の苗植えをし、伐採した森林に植林し、コンクリートやアスファルトに変えてしまった地を、緑の原野に戻していく努力をして、水資源を地球規模で確保する必要があります。工業生産のためには、莫大な量の水を必要としているのです。水の再利用も急務だと言われています。
本来、地球が蓄えているべき水が、温暖化によって気化して上昇することで、冷えた水蒸気が大雨、暴雨、線状降水帯を生み出す原因なのだそうです。その異常を生み出してきた工業優先が、この異常気象に拍車をかけてきたのです。YouTubeのコマーシャルに、ペットボトルの水の会社のものがあって、スイスやフランスのペットボトル水が輸入されて売り始められた時、何とも言えない違和感を覚えた時と同じ、違和感をそのコマーシャルで感じたのです。水が、製品になると言うおかしさです。
水質が、飲用に適さなくなってしまったので、自然の恵みの水が売られて、飲まざるを得なくなっている現実こそ、異常です。子どもの頃、母の手伝いで、井戸水を汲む手伝いをしました。釣瓶の桶によるのではなく、ポンプ式の井戸だったのです。井戸の蓋を開けると、その底に自分の顔が、はるか底に映ってたのを覚えています。
人が増えるに従って、井戸水の汚染が言われるようになり、市の浄水場からの水道水の供給が始まり、蛇口を捻ると、水が出るように変わっていきました。でも、あの堀井戸から汲み上げた水は美味しかったのです。井戸のことを考えますと、ブラジルに移民した義兄が、「上総(かずさ)掘り」と言う井戸について資料を欲しがっていたことを思い出します。地下水を汲み上げて、天然水を、農業用に、また飲用に利用したかったようです。アフガニスタンで、中村哲医師が、用水路を敷設することに尽力したことも有名な話です。
水と人とに関わりは、歴史的に見て、人類の生存にとっても、極めて重要です。飲用、農業用、工業用に必要な水も、防雨がもたらす洪水となると、これは一大問題です。今回の台風7号による、鳥取市の先代川の増水のニュースを伝えていました。〈治水〉は古来からなされた重要な対策であるのです。でも昨今の水問題は、どうする術もないような域にありそうです。治山、治水、国土保全に励んできた日本では、それでも甚大な被害を抑止してきています。
水ジャーナリストの橋本淳司さんが、『台風や大雨など、気候変動の影響を受けている日本で、社会生活が長期間ストップするほどの事態にならないのは、上水道や下水道が整備されているからです。つまり、上下水道インフラの未整備な国や地域ほど気候変動のダメージを受けやすく、洪水や渇水から立ち直るのにも時間がかかってしまうということです。ウォーターエイドの報告書では、世界の貧しい国のほとんどが気候変動への対応力が弱く、それに必要となる安全な水へのアクセスレベルが低いことが指摘されています。安全な水の確保は新型コロナの感染拡大だけではなく、気候変動への対策、ひいては人々の命を救うことにつながるのです。』と言っておいでです。
これほど、水が暴れ狂う様を動画で見た今、これから地球が内蔵する水と地球を取り巻く水は、どうなっていくことでしょうか。
『神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。 (詩篇47篇8節)』
国々を治められる神さまは、地球も天空、宇宙をも治めておいでです。自然界の均衡が破れてしまった様に感じる昨今ですが、神さまの意図を知って、人は、この自然天然の世界に、何をしていくべきなのでしょうか。《治めていく責任》を放棄するわけにも、あきらめるわけにも、人はいきません。
(一滴の水、上総掘りの作業の様子、中村哲氏の著書です)
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