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自分の国民性( nationality )や民族意識( ethnic consciousness )が、けっこう拘り過ぎがあって、しかも強すぎたのではないか思うことがあります。つまり、『日本人!』だとの意識が強くて、なんとなく自分でもおかしいと思いながら、それにしがみついていたのが若い頃だったかも知れません。それだけ identity が確かにされていない不安定な時期だったからでしょう。
思春期って、そう言う時期なのでしょうか。もがきながら、『自分がだれか?』を見つけ出す時だったに違いありません。いったい〈日本人であること〉って何なんでしょうか。日本人の心的状況( mentality )は、外国人にはどう見えているのでしょうか。
良い点では勤勉さ、几帳面さ、律儀さでしょうか。悪い面では猜疑心が強く、陰気で、執念深く、否定的で、鬱的なのでしょうか。人の目ばかりが気になるような人間でもあるようです。そんな傾向にある私たちですが、農耕民族だからでしょうか。それで、日本人の自覚が呼び覚まされるのは、「米」を中心とした食生活に関わることなのかも知れません。その繋がりって大きいのでしょう。
毎朝、毎晩、子育てをしていた母の仕事は、米を研いで、火鉢に薪をくべて、鍋でお米を炊き、大根や菜葉やワカメで味噌汁を作り、大根の漬物や干物や納豆などで朝ごはんを済ませ、弁当を作ってもらい、学校で昼ごはんを食べたのです。夕餉の用意も母がしていました。米を炊き、おかず、味噌汁、漬物を食卓に並べてくれました。それは大変な家事だったのです。
手抜きがなく、不平を言うのでもなく、一途に養ってくてた母を思い出します。時には、パン屋でコッペパンを買い、肉屋でコロッケをかい、ピーナッツバターを塗ったりして買い食いもあったでしょうか。やはり、米を食べて、この体が作られたのです。
「米」こそ、日本、日本人の中心だったことは言い過ぎではなさそうです。『生きよ!』と願われる、創造主の神さまは、この日本の地に、米作を展開させてくださったに違いありません。大陸の黄河周辺の米作が、朝鮮半島を経由して渡来し、この地に根付いたのです。最初に日本に持ち込まれた古代米という「赤米」を、私は食べたことがあって、何か time slip したような感覚を覚えています。
米作りは、第一次産業で、米一粒の重さや価値が、日本人にとっては、どれ程のものだったかを、親から教えられたことだったでしょうか。粗末にしてはいけないと諭されたので、今でもお釜に残った米粒をつまんでは食べるのは、その名残でしょう。塩むすびは、どんなご馳走よりも、空腹時には宝物にように美味しく尊いものです。釜についた米を、ザルにとって、日干しで乾飯を作っていたのです。
肥前の吉野ヶ里とか、武蔵の埼玉(さきたま)、津軽の三内丸山とか、古代に栄えたと言われる村落が、これら以外にも、日本列島には散在していたわけです。今、住んでいます建物から、南を見ますと、富士の高嶺が微かに見え、関東平野が延々と広がり、北には日光連山が眺められ、東には、筑波の山並みが遠望できます。
群馬県境の、出流川周辺には、マンモスが生息していたと言う記念館があるほどで、この関東平野には、水田が、青々として広がっていて、米中心の文化や経済や生活が、勤勉に営まれ続けているのが分かります。でも、稗や粟や麦や蕎麦に、野菜や獣肉によっても、命が支えられた民が、日本人なのでしょう。米は備蓄されて、不作凶作時にも食べつないできているのです。
日本の軍隊の食事ですが、陸軍の将兵は、脚気にかかる確率が高く、海軍はほとんどなかったのだそうです。それは、陸軍が米食、海軍がパン食(小麦粉)だったからなのだそうです。お国を守る兵隊さんには、貴重な精米した白米を食べてもらうことが、逆に仇になったのです。ビタミンB1の不足でした。
パン食の海軍さんや雑穀を食べた庶民は、脚気にはかからなかったわけです。精米した、いわゆる白米だけを食べる危険性が言われています。軍医だった森鴎外は、自ら脚気だったそうで、また明治天皇も脚気を病んでいたそうです。
パンも、遺伝子組み換えの小麦使用でないもの、Gluten freeの食パンがだといわれて好いのだと聞いて、パンを選び、米粉を用いたパンも食べたり、退院後の家内は、けっこう食べ物に注意深くなっています。創造主からいただいた体を、管理し、最善に保つ責任があるからなのです。
今も、青々と稲穂が伸び、秋に収穫を待っているのですが、日本人と米との繋がりは、われわれ世代は、ずいぶん強いものがありそうです。コメの石高によって、統治者がの力が測られ、武士階級の報酬も米によって支給され、農民は、米を作り、工商に携わる人たちは、商いで得たお金で米を買って、命を繋いできたわけです。
子どもの頃以来、コッペパン、アンパン、クリームパンを、今では、硬い黒パン、フランスパン、ベーグル、カンパーニュなど、多種多様のパンが溢れていますが、やはり落ち着くには、トーストしてバターを塗った食パンが好きなのです。お昼には、国産小麦、バターを使用したパンを食べたところです。
基本は今晩も、一合の米を研いで、一合半炊きの電気釜で、炊こうとしています。一日一度は米飯です。脚気にもならず、今を感謝しながら生きております。魚と納豆と緑色野菜が、定番なのです。もちろん肉だって食べています。昨晩の煮魚を家内に、冷凍保存してあるハンバーグを私が食べるつもりです。食べるって、大切なことだと、つくづく思わされる熱射の夏です。
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