.
.
小学校の修学旅行は、「日光」でした。東京都下の小学校は、だれに聞いても、どの学校も、あの頃の修学旅行はは、日光だったのだそうです。それだけ関東平野にある小学校にとって、徳川幕府の開闢(開闢)を担った徳川家康の業績が偉大だったからでしょう。
日光で有名な鳴き竜、招き猫、見ざる言わざる聞かざるの三猿、さらには、いろは坂、華厳の滝、中禅寺湖が印象に残っていて、家康の墓所には、まったく関心がなかったのです。
江戸期に人気の伊勢参り、出雲参り、松島見物と同じで、その日光詣でも、見知らぬ土地への物見遊山の方が、主だったのではないでしょうか。名物の蕎麦や湯葉や団子や饅頭が味わえるのが楽しかったのではないでしょうか。
小学生の自分には、家康の偉さの印象なんて全くなく、珍しいお泊まり旅行で、枕投げやくすぐりっこがおもしろく、泊まった旅館の大部屋で、みんなに個人個人の膳が備えられて、同じ物を食べるといた経験が興味深かったのです。いろは坂を、バスを連ねて走ったのは、非日常さを楽しんだものでした。
かの有名な足尾の銅山に行ってみたくて、わたらせ渓谷電鉄の機動車で、2020年の6月に訪ねたのです。群馬の桐生駅まで、JR両毛線で出かけ、そこで一両編成の気動車に乗り込んだのです。若い運転手さんと話ができ、いろいろなエピソードを聞かせてもらったのです。
その春季の渡瀬の渓谷美は圧巻でした。銅山で栄えていた頃は、宇都宮に次ぐ人口を擁した栃木県下の第二の街だった足尾でした。その駅前からは、バス路線があって、東武電鉄の日光駅まで乗車したのです。途中下車の方を含めて3人だったのは、まさにローカル体験でした。
逆方向からの日光は、修学旅行以来の訪問で、寂れてしまった足尾と違った観光地で、週末は賑わっているようです。クリスチャンの修養会のための施設、「日光オリーブの里」に行った時に、職員の方と仲良しになって、彼に仕事の合間に、中禅寺湖や華厳滝に連れて行ってもらうことがありました。華厳の滝で、長い階段を歩いていた家内に、彼が驚いていました。実に美しい景観だったのです。一緒に蕎麦を啜たりしたのです。
この日光には「落武者の里」と言われる平家の落人の部落があって、バブル期には大いに賑わっていましたが、ここも観光客が激減だそうで、われわれ世代の温泉客もまばらでした。平成の合併で、日光の市域は広がったのですが、人口は8万ほどだそうです。時々買って食べる「湯葉刺し」が美味しいのです。
日光例幣使や八王子千人隊の東証宮警備で、歴史的にも興味ある街です。会津藩その末裔の井深大の出身地でもあります。
(秋の中禅寺湖、ホテルの湯葉刺しです)
.