あれから3年なのです

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 寄席の噺に、「三年目」があります。願わない、もう忘れていた死んだ女房が、幽霊になって出て来るのが、この三年目だったのです。どうしてすぐ出てこなかったのかと言いますと、昔は、葬る前にでしょうか、死者を剃髪する習慣があったのだそうで、髪が生え揃うまで待って、愛想を尽かされない様に、出てきたという「落ち」なのです。

 「三年目」と言うと、中国・武漢で発生した新型肺炎について、世界保健機関(WHO)が、『新型のコロナウイルスが検出されました!」と認定され日が、2020年の114日でした。それが日本にも感染が広がって、国立感染症研究所が、日本国内初の感染者を確認したのが、翌日の15日でした。あれよあれよと言う間に、感染が日本中に、そして世界中に拡大してしまいました。

 その前年の暮れには、二人の娘たちが家族で、母親を励ますためにやって来て、正月には、息子たちもやって来て、アパートに溢れる様な子や孫の賑やかさがあったのです。日光市にあるキリスト教系の宿泊施設、オリーブの里に、全員で宿泊し、その日曜日には、全員で礼拝を守ったのです。実に素敵な家族での礼拝に、母親は大喜びでした。そして明治初年に開業した、栃木市の近所の老舗の写真館で、家族写真を撮ったのです。

 その1週間ほど経った頃(114日でした)に、隣国からご夫妻が、手にいっぱいの「山上の垂訓(登山宝訓)」の壁掛けや、漢方の身体によいお土産を抱えて、家内の見舞いにやって来てくれたのです。京都の若い友人も駆けつけてくれて、集会も持ったのです。このご夫妻は、多くの教会のお世話をしておいでの方で、彼の息子さんや婿殿の教会にも、在華中にお邪魔させていただいたこともあったのです。

 コロナ騒動は、その直後に起こったことでした。歯の治療に、日本橋にいた時にお世話になった歯医者に行けなくなったり、行動制限で、ずいぶん狭まった環境の中で過ごした3年だったのを思い出します。

 想いもよらなかった出来事は、買い物に行った時に、『クソジジイ、近づくな、クソジジイ!』と、五十代ほどのおばさんに連発されたことでした。よほど神経質になっていた時期なのでしょうか、呆気に取られていた私に、その店の店員の方に、『あんなこと言われても怒らないのはすごいですね!』と褒められたので、帳消しになったのでしょうか。

 ピリピリ感が、日本中、いえ世界中に張り詰めていた最中でした。それに引き換え、最近では、『コロナ感染症での死者数が最高だ!』と言われても、世の中が平然としてしまっているのが驚きです。〈喉元過ぎれば〉なのでしょうか、これもまたもう一方側の異常な社会心理の様に思えるのですが。

 この騒動の3年が過ぎて、感染症の怖さと、違った新型の感染症に、また怯えるのかと思うと、人の無力さを思い知らされてしまいます。しかし、聖書には次の様に約束が記されてあります。

  『いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。(詩篇9113節)』

(訪ねてくださった友人が行って雪を楽しんだ「日光戦場ヶ原」です)

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