『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。(伝道者12:1)』
『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。(同12:1)』
父と母は、四人の子を産み育ててくれ、私は二人の兄と、一人の弟がいて、三男坊です。子どもの頃に、時々、父はいっしょにキャッチボールをしてくれたのです。みんな運動が好きでした。上の兄は、柔道もし、陸上部にいたのですが、大学ではアメリカンフットボールをしていました。次兄は、甲子園を目指した高校球児で、都のベスト16で終えました。弟は、アイスホッケーや少林寺拳法や登山や柔道をし、仕事も体育教師をしました。私は、バスケットボールやハンドボールをやりました。
やはり、「若さ」っていいなと、思い返しています。未熟で、悔しいことも、恥ずかしいことも、多々あった時でしたが、無茶をしても、道を外しても許してもらえたと言うのが正直な思いです。若い期間は短いのですが、人生にとって大切な時期なので、その時期を虚しく過ごさないように聖書は勧めています(伝道者11:10)。その「若さ」を躍動させられるスポーツに、関心を向けていくのは創造の理に叶っているかなと思うのです。
この年齢になっても、やはり血が騒ぐと言うのでしょうか、スポーツ競技の放映や放送、選手の活躍ぶりを見聞きすると、ムズムズじてくるのです。そのスポーツの中でも、陸上競技が圧巻でしょうか。今でこそ沿道に応援をする人たちが、声をかけ、旗を降る姿が実に素敵なのが「駅伝」です。ひたすら孤走する姿は詩人の様です。
昨日今日と、「箱根駅伝」、第99回東京箱根間往復大学駅伝競走を、ラジオ放送で、大手町と箱根芦ノ湖の往路復路の駅伝の様子に、いつの間にか聞き入ってしまっていました。何時もそうなのですが、『この走者の中に、キリストを信じている若者がいるだろうか?』と思ってしまいます。このみなさんの「若い日」、そうあって欲しいと願うのは、「創造者を知ること」なのです。
私たち四人の卒業校が、今回の競技会に参加していました。3人の兄弟たちの母校は学校のゼッケンを胸に走っていましたが、私の学んだ学校だけは、「関東学生連合」にentry して、復路のある区間を走っていました。
それぞれが学ぶ学校の誇りを胸に〈襷を繋ぐ〉、この競技は、自分のためにだけではなく(今も、襷を繋げず、繰り上げ発走で、走った八区の選手が、号鳴して、詫びている声が聞こえて来ました)、母校の栄誉のために競うのです。また、そこには人格はないのですが、走った走路に向かって、頭を下げて感謝をする姿も感銘を与えてくれます。走り終えた走者の苦悶の表情は、眼界に挑戦できる気力や体力のある世代の若者の、美しい姿です。
「第1回(1920年2月14〜15日)」から始まって、来年は、「第100回」になります。最初は、1917年「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」だったそうです。母の生まれた年でした。関東と関西の2チームが出場し、京都三条大橋-上野不忍池間、なんと516キロほどを走り継いだのです。その区間を23区間に分け、3日間、昼夜を貫いて走り継いだ競技でした。この大会の成功に終わったので、1920年開催の「箱根駅伝」の構想のきっかけとなったそうです。第一回大会は、4チームの参加でしたが、その後、21チームの参加で開催されています。
どの競技をするにしろ、肉体の鍛錬は、少しは益だと聖書は言います。私を教えた宣教師さんは、『肉体の鍛練もいくらかは有益です(1テモテ4:8)』の「いくらか」を、「しばらくの間」つまり、「肉体に留まる間」でしょうか、「体がそれに耐えられる間」には有益だと言っていました。そうでしょう。70〜80年の生涯を、壮健で過ごすのはよいことです。たとえそうでなくても、精一杯生きることなのでしょう。
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