旧軍隊の実像が

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 中学の時に、映画好きだった私の好きな俳優の一人は、木村功(いさお)でした。彼が演じた「真空地帯(野間宏作)」は、戦後文学の記念碑的な作品で、1952年に映画化されたのです。その映画が、先日、Youtube で、64年ぶりに観ることができたのです。

 この映画は、どこかの名画座で上映されてるのを、初めて観たものでした。戦争が終わる前の年の暮れに、私は生まれたのですが、戦争を知らない私には、戦場ではともかく、軍隊の内務班が、どんな所であったかを知らされた、衝撃的な映画でした。主人公を演じたのが、その木村功でした。

 『#お国のためと言いながら 人の嫌がる軍隊に 志願で出てくる・・・色で固めた遊女でも・・・  』という歌詞の歌を、中学三年の遠足のバスの中で、50人近い男ばかりの同級生、運転手さん、バスガイドさん、そして担任の中で、歌ったことがありました。なぜかと言うと、この映画の最後のところで、木谷一等兵が歌っていたのを、聞きかじりで覚えていたので、調子にのって歌ったのです。

 実に小生意気な中学生であったのを思い返して、穴の中に入りたい様な恥ずかしい思いに、今だにされます。三年間世話をしてくれた担任が、いやーな顔で振り返った視線を覚えています。そんなことを平気でするほど、調子がずれていたのです。クラブの先輩に聞いて、その歌の歌詞の全部を覚えたのです。

 今、ウクライナ戦争の終結を願っている私ですが、戦争を知らない、子や孫たちに、日本が大陸に「王道楽土」」を作ろうとした戦争の裏側を知って欲しく、この映画の解説をここに引いてみます。

 『週番士官の金入れを盗んだというかどで、二年間服役していた木谷一等兵は、敗戦の前年の冬に大坂の原隊に帰っていた。彼は入隊後二年目にすぐ入獄したのですでに四年兵だったが、中隊には同年兵は全くおらず、出むかえに来た立澤准尉も班長の吉田、大住軍曹も全く見覚えのない人々であった。部隊の様子はすっかり変わってた。木谷に対する班内の反応はさまざまであった。彼は名目上病院帰りとなっていたが、何もせず寝台の上に坐ったきりの彼は古年兵達の反感と疑惑をつのらせた。木谷が金入れをとったのは偶然であった。しかし被害者の林中尉は当時反対派の中堀中尉と経理委員の地位を争って居り、木谷は中堀派と思いこまれた事から林中尉の策動によって事件は拡大され、木谷の愛人山海樓の娼妓花枝のもとから押収された木谷の手紙の一寸した事も反軍的なものとして、一方的に審理は進められたのだった。兵隊達が唯一の楽しみにしている外出の日、外出の出来なかった木谷は班内でただ一人彼に好意をもっている曾田一等兵に軍隊のこうした出鱈目さを語るのだった。班内にはさまざまな人間がうごめいている。地野上等兵の獣性、補充兵達の猥褻な自慰、安西初年兵のエゴイズム。事務室要員の曾田は軍隊を「真空地帯」と呼んでいた。ここでは人間は強い圧力で人間らしさをふるいとられて一個の兵隊--真空管となるからだ。或日、野戦行十五名を出せという命令が出た。木谷は選外にあったが、曾田は陣営具倉庫で、金子班の千葉が隣室でしつこく木谷を野戦行きに廻す様に准尉に頼んでいるのを聞き驚いた。金子班長はあの事件の時中堀派の一人として木谷の面倒をみたのだが、今は木谷との関わり合いがうるさかったのだ。木谷が監獄帰りと聞こえがしに云う上等兵達の言葉に木谷は猛然と踊りかかっていった。木谷を監獄帰りにさせた真空地帯をぶちこわそうとする憎しみに燃えた鉄拳が彼等の頬に飛んだ。それから木谷は最後の力をふりしぼって林中尉を探しまわった。彼に不利な証言をした林中尉に野戦行きの前に会わねば死んでも死にきれなかった。ついに二中隊の舎前で彼を発見した。彼の必死の弁解に対し木谷の拳骨は頬にとんだ。やがて、転属者が戦地に行く日が来た。花枝の写真を懐に抱いて船上の人となった木谷に、ようやく自分をきりきり舞いをさせた軍隊の機構、その実態のいくらかがわかりかけてきた。見知らぬ死の戦場へとおもむく乗組員達の捨てばちな野卑な歌声が隣から流れてくる。しかし木谷の眼からはもはや涙も流れなかった。』

 組織、とくに軍隊という組織が持っていた大きな問題を露呈したことは、「戦争放棄」をかざした平和憲法の意味が伝わってきます。でも、このところ〈キナ臭い動き〉がしてきているのを感じてなりません。「国土防衛」、実に重い問題ですが、もうどうしようもなく動き始めています。この映画で、一兵卒を演じた木村功は、とても素晴らしい俳優でした。奥さんを愛した方だったそうです。惜しくもお病気で、58歳で亡くなられています。

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