思い出したこと

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 『しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。(ルカ1228節)』

 田んぼの畦道に、散歩の途中に見つけた花です。真冬に吹く北風を避ける様にして、畦道の内側で、《じっと》咲いている姿は、素敵でした。その健気に、無言に咲く花を見ていて思い出したのは、『ああ、こういうことだったのか!』と言うことでした。

 先生の晩年のクラスに加えてもらって、指導していただいたことを思い出したのです。戦時中、再臨を説く伝道熱心なキリスト教会と、社会主義活動家は、社会の秩序を乱し騒乱に陥れて、国家を転覆する危険性があるとのことで、実に厳しく取り締まりを受けました。嫌疑をかけられて留置や拘置された人たちの中に、この恩師がいました。

 杖を使って足を引きずって歩き、時々神経が詰まるのでしょうか、首筋を伸ばそうとされて、引き攣るようにされておいででした。労働運動や社会の貧困の問題の原因を取り上げて研究や活動をしていたのです。それで思想取り締まりを受け、拘置され拷問で打たれたのでしょうか、弱々しく見えました。

 教えている恩師の目は澄んでいて、いつもにこやかでした。山口県の下関の出身で、戦前には、同じ学校で学んでいますし、在学中に結核になり、退学しています。戦後、そこで教壇にたたれたのですから、同窓の先輩にあたります。「野の花の如く」と色紙に、小さな絵と共に書き添えてくださって、記念にいただいたのです。

 『荒れ野でもいいから、炉に投げ込まれるようであってもいいから、導かれ、置かれた所で、精一杯生きよ!』と言って、社会に出る私たちを送り出してくださったのです。生活苦に苛まれる人々を捨て置くことができない「優しさ」が溢れていた方でした。若い頃に教会に導かれ、バプテスマを受け、教会学校の奉仕をしていたそうです。しかし教会に躓き、出たそうです。

 奥さまが、無教会の説教者の妹さんでしたから、そのグループに属していらっしゃったのでしょうか。ついぞ、信仰上のことを聞かずじまいでした。まさか、やがて私が献身するなど思いもよらない時期だったからです。踏みつけられても、懸命に、至高者で創造者の神さまに向かって咲いている、この野の花を見て、懐かしく思い出してしまいました。

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