雪を詠む

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 あの正岡子規が、34歳で早逝していたことを知って、驚いてしまったことがありました。写真で、子規の容貌を見て、六十近い初老の顔を覚えていたからです。俳句を読んでも、老成した枯れた俳人の句だとばかり思っていたこともあって、意外だったのです。この時季を詠んだのでしょうか、次のような子規の俳句が残っています。

いくたびも 雪の深さを たずねけり

 「不如帰」と書いて、ホトトギスと読ませるのですが、この俳人は、自分の俳号を「子規」にしました。「hototogisu」と入力しますと、漢字の候補に「子規」が出てきます。「鳴いて血を吐く ホトトギス」と言われるように、このホトトギスは口の中が赤いので、鳴くと血を 吐いているように見えるわけです。このことについて、ウイキペディアに次のようにあります。

中国の故事「杜鵑の吐血」にちなむ。長江流域に(秦以前にあった)という傾いた国があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀がによって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず/帰ることが出来ない)と鳴きながら血を吐いた、と言い、ホトトギスのくちばしが赤いのはそのためだ、と言われるようになった。」のだそうです。

 正岡子規は、「野球」を好んで、その普及に尽力したスポーツマンで、「打者」、「走者」、「四球」、「直球」などの野球用語を英語から翻訳した人でもありました。しかし、22歳の時に喀血し、結核に罹ってしまうのです。それで、「子規」と号しています。当時、結核は不治の病だったので、一旦罹ると、それは死を意味していたのです。

 上にあげました、俳句ですが、大雪が降った日のことです。床に伏せている子規は、外出することなどできませんでした。ただ思いの中で、降り積もった雪の深さを、何度も何度も確かめるように、思い続けていたに違いありません。それとも家人に、雪の量を尋ねたのかも知れません。

これがまあ ついの栖(すみか)か 雪五尺   一茶

 五尺も積もる雪深い地で、一茶は晩年を過ごし、死期を感じたのでしょうか。昨年末は、寒波襲来で、日本海側の北陸、東北、北海道の降雪は、記録的だとニュースが伝えていました。ここ栃木県も、奥日光や那須では、雪が深く積もっているのです。それに比べ、関東平野の奥に位置する栃木市のわが家では、日差しが差し込んで、陽が落ちるまで暖房なしで過ごせるのです。子どもの頃を過ごした街や村でよく雪が降って、雪合戦やソリなどの遊びを楽しんだのを思い出します。

(村田収の描いた雪の風景です)

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