譲って新しい地に出て行くこと

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 『主はモーセとアロンに告げて仰せられた。 「レビ人のうち、ケハテ族の人口調査を、その氏族ごとに、父祖の家ごとにせよ。 それは会見の天幕で務めにつき、仕事をすることのできる三十歳以上五十歳までのすべての者である。:ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものにかかわることであって次のとおりである。(民数記414節)』

 神さまは、ご自分の民とお会いになるために、特定の場所を定めました。それが「幕屋(会見の天幕)」でした。そのための精緻な設計図、奉仕者、奉仕の仕方、服装、器具などを定めました。そのことが、とても重要であるので、「出エジプト記」の2540章までに、神さまは、詳細をモーセに告げました。そのことばに従って作られ、大祭司アロンが、年に一度、幕屋の中心の「至聖所」に入って、神と謁見したのです。

 この幕屋の「最も聖なるものにかかわること」の奉仕にあたったのが、レビ族でした。その重要な任務を果たすために、年齢を定められました。「三十歳以上五十歳まで」の男子でした。どの様な基準でなのか、人間の側から判断することができそうですが、「もっとも聖なるものにかかわること」とは、 英欽定訳聖書によりますと、” all that enter into the host , to do the work in the tabenacle of the congtegation “ とあって、” the work “ とは一般的な仕事ではなく、「主なる神に仕えること」であるのが分かります。

 ですから、粗相、失敗があってならないのでしょう。二十歳に満たないのでは若過ぎるのかも知れません。六十歳を越えてしまうと老い過ぎてるのでしょう。その務めに選ばれ任じられ、その責務を重く受け止めている「レビ族」だけが関われたのです。モーセが、奴隷の家のエジプトから救出者として、また彼の兄のアロンが「大祭司」に召されたのが八十歳以上であったことは、例外だったのです。ここに定められた奉仕の期間は、「壮年期」に果たしうると言うことなのでしょう。

 『あなたがた経験のあるmature な人は、新しい人に、その務めの責任を譲って、あなたは新しい地に出て行きなさい!』と、アメリカから宣教に来て、長く異国の地で奉仕をし、日本人を愛し、そして病んで帰天した恩師が挑戦してくれたことがありました。自分の城を築いて、それを死守して、安泰な生活を送るという誘惑から出ていく様にとの勧めだったのです。

 若くて経験の少ない伝道者が、来る日も来る日もトラクト配布に明け暮れ、群れができずに、しかも貧しくて、意欲を削がれ、伝道に挫折するケースは多いのです。神学校を出て伝道を始めた若い伝道者が、5年以内に伝道戦線から離脱する比率が、80%と言う高さだと、アメリカのフラー神学校が調査した結果を報告しています。

 それで、一仕事をしてきた円熟した人が、新しい地に出かけて行って、教会の土台を据え、群れを形成する方がよいから、恩師は、私に勧めたのです。名誉牧師というタイトルがあるそうです。イエスさまにもパウロにも与えられていないタイトルをいただいている方がおいでです。兄弟姉妹との関係を続けて、新任の牧師の牧会の邪魔をしているケースは多いのです。

 任せてしまったら、余所に出ていくべきです。その方が福音は拡大していくからです。教会の敷地の奥に宣教師館があって、招かれて牧師になられた家族は、アパートに住んでいます。その教会の兄姉は、前から関係を持ってきた宣教師に相談に行きます。牧師を跳び越えてです。そんな牧師さんや若い伝道者の方に何度か相談されたことがありました。結局、彼らは去っていかれました。

 35年支えた群れを、母教会にお願いした私は、60になる前に出て行こうと決めました。恩師の勧めが、神からの促しだと理解したからです。怪我など諸事情があって、61で家内と出掛けたのです。やっと、あの挑戦を受けることができました。そこで13年間、教会形成のお手伝いをさせていただきました。そこから幾つかの群れが始まりました。自分に課せられた分を果たさせてもらっただけです。ほんの一時期でした。必要とされる間に、日本語を教えながら、させて頂いた奉仕でした。

 でも時が来て帰国したのです。これって、出ていったからできた奉仕だったのではないかと思います。小さな一国一城の主(あるじ)におさまっていたら、生活は安定していたかも知れませんが、かえって問題作りを繰り返したかも知れません。今あるをただ感謝しております。

(「幕屋」 で奉仕をする人たちの様子です)

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