信仰の系譜

.

 

 『けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(2テモテ31417節)』

 私の育った父の家には、仏壇も神棚も札と言った伝統的な宗教用具は、何もありませんでした。ただ父は経本と数珠を持ち、母は聖書と讃美歌(聖歌)を持ち、ペンダントやリングの十字架はありませんでした。母は、その聖書を読み、賛美し、祈り、日曜日には礼拝に行き、水曜日には聖書研究会に行き、家では家庭集会をし、近所の方に証しをし、私の学校に呼び出された時に、担任にも証しをし、パートに出て得たお金から献金をし、そんな日常生活をおくっていました。

 母は、子どもの頃に出会った、救い主に従い続けて、聖書通りに、単純で堅実な信仰者として生きて、95歳で帰天したのです。クリスチャンとして生きる母を、父は認めていました。家で、聖書研究会をするのも許して、宣教師さんにも敬意を示して、家庭集会が行われていました。でも教会の礼拝には、父は行きませんでした。

 劇的な宗教体験はしませんでしたが、初代教会にあったような、聖霊にバプテスマされると言う経験をして、イエスさまの十字架の死が、自分の罪の身代わりであったことを、真に知ることが、私にはできたのです。母の祈りの賜物で、兄たちも弟も、そして父も、イエスさまをキリストと信じることができました。

 このイエスさまは、2000年ほど前に、ベツレヘムに生まれ、ナザレ人として育ち、30歳にして、バプテスマのヨハネから、ヨルダン川でバプテスマを受け、水から上がられる直前に、聖霊に満たされ、『これは、私の愛する子、わたしはこれを喜ぶ。(マタイ3:17)』との声が天から告げられました。その後、悪魔の試誘を荒野で受けられ、それを旧約聖書のみことばで退けて、公けの伝道生涯に就かれたのです。3年半の後に、ご自身を信じる者の罪の身代わりに、十字架に死なれ、葬られましたが、墓と死を打ち破って、甦られたのです。そして父の神の右の座に着かれ、信じる者を父なる神に執り成し、助け主聖霊を送り、場所を備え、その場所の備えが終わったら、私たちを迎えに来てくださると約束されました。間もなくイエスさまは、王としておいでになって、王座にお着きになられます。

 そう聖書にある様に、単純に信じて、今もなお、同じ様に信じているのです。その私を育ててくれた母は、カナダ人宣教師が奉仕された街にあった教会に、級友に誘われて教会学校に行き、教会生活を始めています。夫の仕事の関係で、山奥にいましたので、教会には通えませんでした。そこに街からリュックザックを背負った伝道者がやって来て、讃美をし、聖書を読み、祈って、礼拝を守っていましたのです。街に出てからは、紹介された教会に参加していました。

 ところが牧師さんの子どもが亡くなられて、牧師館で仏壇に似た一角に線香が炊かれているのを見て、その教会を母は去りました。引っ越してからは、隣町の宣教師の教会で礼拝を守っていたのです。住み始めた町の路上で、将来、私の家内になるお母さんに会って、テキサスからの宣教師の始めた教会に誘われて、その群れに、自分の魂を委ねたのです。そこで、初めて旧約聖書からの礼拝説教や聖書研究で説教を聞いたと言っていました。私たち兄弟も、そこで教会生活を始めたのです。

 神学や教理は大切ですが、それを振りかざして、教理の争いをしたり、神学論争になったりして、優越感に浸ってしまうなら、聖書が示す神さまが、聖書が示す救い主が、助け主の聖霊が一番悲しまれるのです。天国には、改革派地区とか、ホーリネス派地区とか、聖霊派地区とかはあるはずがないからです。みんなが、讃美を歌い、溢れる様な感謝と喜びで満ち溢れることでしょう。

(「キリスト教クリップアート」からのイラストです)

.