秋(加古里子)


 子どもの頃に、「絵本」をあまり読まなかったので、今になっての開眼で、図書館で借り出した絵本に夢中になっています。 

 旧制の高等学校の学生であった加古里子が、戦局厳しい時期、敗戦の前の年、私の生まれた年ですが、兵器を作る工場に勤労動員していました。すでに本土に米軍機が飛来し、都市爆撃が行われ始められている中、盲腸炎になります。「おでこ」とあだ名された医師たちによって無事手術が行われます。その病中の有様を、作者はクレヨンで描き残した「秋」と題した「紙芝居」があります。その原本が見付け出されまたのが、2008年のことでした。

 2020年になって、その紙芝居の「台詞(せりふ)」が見付かったのです。絵本出版のために、加古里子は、戦後、ずっと準備を重ねていたのです。2018年に亡くなってから、3年経った、2021727日に、講談社から発行されています。

 十八歳、高等学校二年生の戦時体験が、やはり平和を希求させたのでしょう。大学で応用科学を専攻し、昭和電工に就職しています。働きながら、川崎のドヤ街のsettlement で活動をし、子どもたちに人形劇や紙芝居などをしておいででした。絵本作家として、最初に手がけたのが、1959年に「だむのおじさんたち」で、それ を発刊しています。47歳で会社を退職して、フリーで、大学で教えながら、絵本作家を続けたのです。「秋」と題した絵本の最後の方にある「ことば」です。そして、いく枚かの絵です。

ああ、こんな戦争なんか、

一日も早く終わったほうがいい。

にっぽんだってあめりかだって、

勝っても負けても、戦争では人が死に、

傷つき、生活がめちゃめちゃになってゆく。

だれがいったい、戦争で得をするというのだろう。

どんな苦しみだって、

戦争の苦しさにくらべたら、

耐えられるだろうにー

戦争をするだけのお金や物を、

みんなの生活がよくなることに使ったら、

ほんとうにたのしい世の中がつくれるだろうにー

爆弾や戦車や落下傘や、カボチャをつくってまで、

なぜ戦争をしようとするのか。

青い空や澄んだ秋晴れは、

戦争のためにあるんじゃないんだ。

空腹や戦争のために、青く澄んでいるなら、

こんな秋なんかないほうがいいんだ。

はやくどこかへ行ってしまえ!

そしてはやく、一日もはやく、

平和な春がきてほしいー

私は願いました。

切に私は思いました。

 手術で執刀してくださった医師は、徴兵されて行くのですが、無事に帰ってくることを願いつつ送り出したのですが、思いは届かず、戦死してしまいます。その報に、対する想いが、この家にある絵の、黒く塗られたご自分の顔なのでしょうか、また反戦の想いを込める青年の視線、そんなことを感じさせる画像ではないでしょうか。

 今もなお、ウクライナへの侵略戦争が続いています。終結を、世界が願っているのですが、いつまで、どこまで続く暴挙でしょうか。はやく戦いが終わるのを、どなたも願っているのですが。