親方

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 これまで「親方日の丸」と言うことばを何度も聞いてきています。最近は、あまり聞かないかも知れません。”大辞林"には、『(親方は日本国である意)自分たちの背後には国家が控えているから倒産の心配はない,という公務員などの真剣味に欠けた意識を皮肉っていう語。』とあります。

 中国語にも似たことばがあって、「鉄腕飯Tiě wàng fà」と言うようです。陶器製の椀のように、欠けたり砕けたりしない鉄製の椀で食べることから、器が話題になっているのではなく、頑丈な椀に盛られた飯が、確かなものだと言うのです。それで、『食いっぱぐれしない!』ことを言い当てているそうです。

 『どう生きるか?』を考えていた時、安定した地方公務員になることに、一瞬、心が揺れたことがありました。でも『青年は安全な株を買ってはならない!』、すなわち安定志向の生き方を戒めることばを聞いて知っていたのです。一度きりの人生を、もっと冒険的に、攻撃的に生きるように決心して、公務員にはなりませんでした。実際はなれなかったのですが。それで母校の恩師が紹介してくれた職場に就職したのです。

 その頃、何度か、仕事で都庁に行かされました。その所轄の部署の職員の多さに驚かされたのです。用件が済むまで待たされた間、仕事ぶりを眺めていました。仕事を見つけるためでしょうか、ロッカーから書類を取り出しては読んでおいででした。そのバツの悪そうな顔をして、目が会うと、視線をそらしていたのが印象的でした。決して偏見の思いで眺めていたわけではありませんでした。『仕事はし過ぎても、しなさ過ぎても好くなく、ほどほどに!』と、この職場の仕事を聞かされていたので、納得したわけです。

 実力や実績のある「親方」の庇護の下に居られることを、「寄らば大樹の陰」と言うのでしょうか。そう言った大樹に出会わないで、一匹狼のようにして、孤軍奮闘してきたように感じた時期も、私にありました。そんな風に思っていた私のために、影になり日向になって、力になってくれて方々がいて下さって、今日があります。

 「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 (ローマ8章31節)」

 実は、私には本物の「親方」がいるのです。いつか私の「親方」をお伝えすることができたらと、切に願っていましたので、ご紹介しようと思います。それは政治家でも、財界人でも、教育家でもありません。頼り甲斐があって、決して裏切らず、最後まで見捨てない方なのです。これを、「親方日の丸」や「鉄椀飯」になぞらえて、何と表現したらいいのでしょうか。私の50年来の親しいお方こそが、「親方」なのです。

 そう天地万物を想像し、それを支配し、しかも、この私をお作りくださり、支えていてくださる神さまなのです。神を、そんな表現で言うのは烏滸(おこ)がましいのですが、私のために執り成しをし、助け主聖霊をお遣わしくださり、私のために場所を設け、その場所が備えられたら迎えに来てくださるお方、父の御子イエス・キリストが、「・・・見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ28章20節)」と言ってくださったのです。

 このお方が、私の「親方」なのです。若い時に出会い、今もその様に感じられ、《頼り甲斐にあるお方》でいらっしゃるのです。地震で揺らされても、暴雨が降っても、コロナの渦中にいても、私の「味方」で、どんな時でも「平安」でいられるのです。

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