五十歩百歩

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この表は、2010年の国別の「農薬」使用量です。農地1ヘクタール当たりの使用量は、東アジアの中国、韓国、日本が上位三国なのです。日本の厚労省は、厳しく規制しているものだと思っていましたから、大変驚いてしまいました。

華南の街の学校で、日本語を教えていました時に、「日本語弁論大会」が、毎年行われていて、審査員として出席していたのです。そこに、“ CASIO "などの日本企業の総経理の方なども同席していました。

審査がすんで、懇親会が行われていた時に、ある企業の駐在員と話をしていました。その時に、彼がこんなことを話されたのです。西ドイツは、中国に駐在員を送る前に、水や空気や食物など、多方面にわたって現地調査を行っていて、それから派遣に踏み切るのだそうです。羨ましそうに、そう言っておいででした。

ところが、調査をしてみますと、西ドイツの定めた適正基準に対して、何一つ合格がなかったのだそうです。その上で、駐在員を送り込まなければならないので、生活のための諸注意をして送り出すのだと、言っていました。日本の場合は、そんなことをする企業は皆無なのかも知れませんが、西ドイツの徹底さに驚かされたのです。

それで私たちは、華南の地での生活に、水道水には、浄水器を取り付け、野菜や果物、肉や魚などを、「重曹」などの農薬除去に優れている物を使うことにしていました。ある方たちは、空気清浄機を室内においていらっしゃいました。

今年の一月に、帰国した私たちは、農薬使用で安全国の日本で、生活を始めたわけです。苺生産量日本一のこちらで、時季の苺や苺大福などを頂いたり、買ったりしている間に、次の様なニュースを聞いたのです。『台湾は、日本の苺を輸入禁止にしている!』と言うものでした。価格が高すぎるのかと思ったのですが、そうではなく、苺生産に用いる農薬の濃度が、台湾よりも〈200倍〉も高いからなのだそうです。

今季も、苺が出回り始めた様です。美味しそうに、テカテカして真っ赤に熟した早生の苺が、すでにスーパーの店頭に並び始めました。そのことを知らなかったら、勢いよく手を伸ばして買いたいところですが、苺生産農家のみなさんには悪いのですが、やめてしまいました。

〈美味しい〉、〈安全〉なはずが、そうでなさそうなのは、実に残念です。我が国の基準の緩さに、今更驚いています。私は、中国への偏見を、今、悔いているのです。我が国の安全性を考えると、五十歩百歩で、裁いたり、誇ったりできないからです。今や、これまで裁いていた私は、『御免なさい!』の思いでいっぱいなのです。

私の恩師の友人が、ヴェトナム戦争の折に、飛行機のパイロットとして〈枯葉剤〉を散布したことがあって、戦争終結後、たいへん慚愧(ざんき)の思いで苦しんでいました。ジャングルの葉を枯らすだけではなく、枯葉剤に汚染されたお母さんが、多くの奇形の子を産んだからです。

その同じ薬剤が、無制限に〈除草剤〉として使われているのが、今の日本の現実です。とっぷり薬剤に侵されている私たちの世代はともかく、これから成長期にある子どもたちは、その汚染や薬害から守りたいものです。

輸入小麦粉を使っていないパンや乾麺を探して、〈日本産小麦粉〉と明示されている物を食べようとしているのですが、この表を見てしまうと、『害から守られますように!』と願って食す以外にないのかなと思うこと仕切りです。

悪ものから、自己防衛をしなければならないのは、仮想敵国ではなく、口から侵入してくる敵なのでしょう。大変な時代に生きているのを感じてしまう、もう間も無くの師走、雨の日が続く初冬です。

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不器用さ

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[角川映画]に、「最後の忠臣蔵」があります。池宮彰一郎原作の映画化で、2010年に封切りになり、大きな反響を呼びました。次の様な内容の映画です。

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世の中を騒がせた赤穂浪士の討入りから16年。大石内蔵助以下四十七士全員の切腹で、事件は幕を下ろしたはずだった。

しかし、四十七士には、一人だけ生き残りがいた。討入りの真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助するという使命を大石内蔵助に与えられた、寺坂吉右衛門だ。

諸国に散った遺族を捜し歩き、ようやく最後の一人に辿り着いた吉右衛門は、京で行われる四十六士の十七回忌法要に参列すべく、内蔵助の又従兄弟の進藤長保の屋敷へと向かう。

旅の途中、吉右衛門は、かつての無二の友を見かけて驚く。討入りの前日に逃亡した瀬尾孫左衛門、言わばもう一人の生き残りだ。

早くに妻を亡くして子もなく、内蔵助に奉公することだけが生き甲斐だった男が、忠義のために喜んで死のうと誓いあった吉右衛門に一言もなく消えた理由は、未だにわからない。

孫左衛門は名前を変え、世間から身を隠して生きていた。武士の身分を捨てて骨董を売買する商人となり、竹林の奥に佇む隠れ家で、可音という美しい少女に仕えて、ひっそりと暮らしている。

近隣に住むゆうは、16年前に孫左衛門が生まれて間もない可音を抱いて、この地にやって来て以来の付き合いだ。母親を亡くした可音を可愛がり、行儀作法から読み書き芸事まで、一分の隙もなく教えたゆうは昔、島原で全盛を極めた太夫だった。幕府から許された京の呉服司にして天下の豪商、茶屋四郎次郎に身請けされるが、今では孫左衛門と同じく、静かに暮らしている。だが、孫左衛門はそんなゆうにも、己の過去は一切語らなかった。

京では人形浄瑠璃が流行っている。なかでも人気を集めていた曾根崎心中の舞台が、可音に思わぬ運命をもたらす。

茶屋家の跡取り息子である修一郎が舞台を見に来た可音に一目惚れ、彼女がどこの誰かもわからない四郎次郎は、ゆうを介して壺を買った孫左衛門に商いの顔の広さで「謎の姫御料を探してくれ」と頼んだのだ。

孫左衛門は迷っていた。茶屋家は可音を嫁がせるには、またとない名家。しかし、ならば可音の出自の秘密を明かさねばならない。さらに肝心の可音は「孫左と一緒に暮らしたい」と大粒の涙をこぼして孫左衛門を困らせる。

浅野内匠頭の墓に参った孫左衛門は、元赤穂の家臣たちに見つかり、「おめおめと生きておったか」と罵られ、足蹴にされる。居合わせた吉右衛門は孫左衛門の家まで跡をつけ、16年ぶりに対峙する二人。が、「生き延びたわけは何か」と問い詰める吉右衛門に対し、孫左衛門は可音を隠すためなら、かつての友にさえ刀を向けるのだった。

思わぬ吉右衛門の来訪をきっかけに、討入り前夜の記憶が、昨日のことのように孫左衛門の胸に去来する。彼もまた、内蔵助から使命を与えられていた。元赤穂の旧臣たちにも内密に、まもなく生まれる隠し子を守ってほしい──。それが、孫左衛門がたった一人で背負い続けた、重き使命だった。

吉右衛門から報告を受けた長保は、一連の出来事からすべてを見通す。世は移り変わり、今では内蔵助は主君の汚名をそそいだ武士の鑑といわれ、名誉を回復していた。

元赤穂の武士たちにとって、内蔵助の忘れ形見は宝物のような存在だ。己の立場を自覚した可音は、亡き父のため、孫左衛門の使命のため、嫁ぐ覚悟を決める。孫左衛門の胸に去来するのは、喜びと安堵と哀しみが入り混じった複雑な思い・・・・・・。

別れの日が、やって来た。可音は孫左衛門のために自ら縫った着物を贈り、「幼き時のように、抱いてほしい」と願う。孫左衛門は腕の中ではらはらと涙を流す可音に、「最後に笑ってくだされ」と頼む。二人は互いの笑顔を心に焼き付けるように、じっと見つめ合うのだった。

出立の刻限となり、孫左衛門が付き添う質素な駕籠が道を行く。大勢のお供も豪華な輿入れもない、寂しい行列だ。だが、夕暮れが深まる頃、松明を持った吉右衛門と、荷運びの華やかな行列が可音を迎える。続いて紋付羽織袴の元赤穂の家臣たちが現れる。

次々と、お供を願い出て、次々と──。

遂に孫左衛門の使命は果たされた。しかし、彼には最後にまだ、なすべきことが残っていた──。 [角川映画社]

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主君と家来、主君と主君の忘形見、武士と商人、男と女、家と廓、責務や使命、過去と今、生と死などを織りなす物語です。封建社会の柵(しがらみ)の中で、武士がどう生きて死ぬか、しかも足軽の様な身分の低い男・孫左が、主君に殉じて、使命を果たし終えた夜、死んで行く終章、その死は、私には重過ぎてしまいます。

戦時下に、銃後の父や母や弟や妹や恋人を守ろうとして、死を選んで志願した特攻隊兵士に、若き心を震わされた私が、自他の命の重さを、母や恩師に教えられて、思いを改めて、生き直したのも事実です。劇中、武士道に則って、自らの命を断つ、孫左の生き方、死に方に、再び心が揺さぶられてしまいます。

もちろん、日本人の好きな仇討ち、忠誠心、滅私奉公などが物語の全体にあるのですが、主君に託された使命を全うする孫左の律儀さ、本物の武士の在り方など、もちろん小説上の技法ですが、それでも生き方の下手さにも共感してしまいます。

一方では、『まあいいか!』で、今度は自分の人生を生き直して欲しかったと、思ってしまうのです。それでは小説や映画にはなりませんね。いつも思うのですが、まるで日本人の精神や在り方の一部に組み込まれてしまっている三百年も前の出来事、「忠臣蔵」が繰り返し話題になる年の瀬に近づいていて、今の平和な時代を生きることができて、幸せだとも感じるのです。

孫左の様な不器用な男が、私は好きで仕方がないのですが、主君の忘れ形見の嫁入り後に、彼が封建社会の柵から逃れ出て、失ったものを取り戻して、己の人生を、一人の男として生き直して欲しかったなと、つくづく思ってしまいます。

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