何て言いますか

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子育て中の四人の子どもたちが、通学していた頃、朝は、一つのトイレを、六人で共用していたので、まるで戦場の様な、わが家でした。家内は、『忘れ物ないの?気をつけていってらっしゃい!』と言うのを常にして、彼らを送り出していました。

誰でしたか、忘れ物をして、学校の裏門の鉄格子から、それを何度か届けたことがりました。小学校も中学校も、住んでいた家から目と鼻の先にありましたから、子どもたちに油断や甘えがあったのです。

『親が、子を送り出す時に、何て言うか?』との聞き取り調査を、いくつかの国でした結果があります。私が読んだのは、中国と韓国と日本だけでした。その結果は、次の様でした。

中国人の親は『騙されない様にしなさい!』

韓国人の親は『頑張って勉強して一番になりなさい!』

そんな感じで言うのだそうです。では、日本人の親は何と言うと思いますか。そう、『みんなと仲良くしなさい!』と言うのです。「和」とか「協調」を願うからなのでしょう。『出る釘は打たれる!』ことを知っている親は、処世術を、その様に学んで、次世代に伝えるのでしょう。

国の在り方も、これに似ていないでしょうか。「国際協調」が行き過ぎて、没個性的になって、相手の出方ばかりを気にして、自己主張ができないままなのです。考えている内に、相手の強引さに押し切られてしまっているわけです。

私の父親は、『喧嘩に負けて泣いて帰ってきたら家に入れない!』をモットーに、四人の男の子を育てました。『男は敷居をまたぐと七人の敵がある!』を、身を持って学んだからでしょうか、そんな乱暴なことを、父は子たちに願ったのです。それで、泣かないで帰れるために、腕を磨いて、勝つ算段を身につけて生き始めたわけです。

私の母の故郷では、私たちが、『行って来ます!』と言う代わりに、『行って帰ります!』と言うのです。行って行きっぱなしではなく、『必ず帰って来ます!』と約束して出かけたのでしょう。私は、『行って、勝って、帰ってきます!』と、心の中で言い聞かせて出かけたのです。泣いて帰ったのは、そう言った父が亡くなったことを、母に聞いて、父の死を受け入れるために、病院に駆けつけた時でした。

それで私は、これから、『行って〈負けてもいいから〉必ず帰ります!』と言うことにしようと思っています。それにしても、『ただいま〈帰りました〉!』と言って帰って来ない子どもたちには、帰るべき固定した新しい実家が、今回できたので、そう言う様になることでしょう。13年も、実家が外国住まいだったからです。

(母の故郷の近くを舞台にした漫画の表紙です)

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