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「ケバルの川のほとり」ではなく、「巴波川」のほとりに、家内と一緒に住み始めた私は、その流れを見下せる四階の新居のベランダから、昇ってくる朝日を眺め、夕日も眺めています。東に行くと茨城を超えて太平洋、南は関東平野、北は日光山塊、西に群馬の地の利にある街です。
三羽の白鷺が、流れに足をつけてい、カモも泳いでいるのも見えるではありませんか。実に静かです。通勤や通学や観光の電車駅から5分ほどの所に、こんなに静かで、日当たりもよく、買い物も便利で、市役所にも近いのです。
台風19号に被災した私たちに、与えられた今回の家は、四人の子どもたちが、見付けて、経済的な援助をしてくれたものなのです。賃貸契約者は、長男で、両親が住むと言う契約です。もう全てが逆転、人生の舞台の主役は、子どもたちの世代に、私たちから移ってしまいました。
家内と四人の子どもたちを、強引に引っ張って、生きて来た私は、ちょっと拍子抜けだとお思いでしょうが、『老いては子に、何とやら!』で、ちょっと《おんぶに抱っこ》なのです。これって好いものですね。戦さに出て征くのは願い下げですが、矢筒に矢を満たす《子沢山の幸い》を、私たちは感謝し、このことを満喫しているのです。
六十過ぎてからの天津への留学、机を並べて家内との学習、華南の地への引越し、国語教師、クラブのお手伝い、家内の発病、入院、退院、帰国、闘病、被災、避難、転居をしながらの今日です。人生の後半が多彩です。家を持たない身分だからこそできた、冒険なのかも知れません。
もう11月になりましたが、家内の病気で帰国した私たちに、子どもたちは、心配と安心の入り組んだ思いにいるのでしょう。朝な夕な、今住む町の平安、繁栄、幸福を願いながら、十三年住んだ天津と華南で出会った友人たちの安否を問いながら、南向きの窓からの茜色の夕日も、実に素晴らしいものです。
(ケバル川と巴波川です)
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