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ここ北関東の農村は、今や、稲刈りのすんだ田圃が、延々と広がっています。石ころや雑木林の地を開墾した時代があって、豊かに生産する時代となったのでしょう。〈穀倉地帯〉とでも言えそうな土地柄です。

県内産のお米が美味しいのです。とくに、台風による川の氾濫で、避難した町、高根沢で食べたお米が、とびっきりの美味しさでした。お邪魔したクラブの二階のゲストルームの台所のテーブルの上に、そのお米が、私たちの食用にと、ご用意くださっていたのです。

滞在した三週間近くの間、ちょうど食べ切ったほどの量でした。避難民への親切さが、より美味しく感じさせられたのでしょう。どなたかの家で獲れたお米でした。近くの農協の即売所に、御当地米が売っていて、きっと、「したつづみ」と言う銘柄米だと思ったのです。

下の息子と一緒に通過した、新潟県下の高速道路のサーヴィスエリアの売店で買った、「魚沼こしひかり」に匹敵する様な味でした。やはりお米を食べ続けてきたからでしょうか、米の旨さが分かって、食が進んでしまうのです。今では、夕食時に、家内と二人で〈一カップ〉を炊いて食べ続けてきているのです。

華南の街で、黒竜江省産のお米が売っていて、「東北米dongbeimi」を買って食べていました。ある時、「秋田小丁qiutianxiaoding(秋田小町)」と言う銘柄の米が売っていて、それ以来、それを食べていたのです。懐かしくも美味しかったのです。

ところが、若い友人が、日本に出かけて買って帰ってきた、「富山産米」を10kg袋で頂いて食べたのです。その旨いこと、中国産には申し訳ないのですが、旨さの違いがはっきりと分かるほど、美味しかったのです。

ところで、子育て中のわが家では、一番安い米を食べていました。ですから子どもたちの口は、お米の味の音痴になっているのではないかと思ったほどです。ところが、時々、『米が獲れたので食べてください!』と言ってお米を頂いたのです。ある時は、一年近く、買わないで、〈頂き米〉を食べ続けたのです。

冷害に強い米、いもち病などへの研究がなされ、日本のお米は美味しいわけです。冷たい水で、夏場に育ったお米が美味しいのだそうです。今年も収穫を終えた田圃には、〈ひこばえ(蘖)〉が伸びていて、田植え後の様な感じがしています。

子どもの頃に、兄二人、弟一人、そして私の四人の息子に、腹一杯食べさせてくれ、養ってくれた父や母を思い出しています。とりわけ〈死に損ないの私〉の滋養強壮、栄養補給のために、『生きよ!』と祈りながら、市販などされていない、瓶詰めの《バター》を、どこからか手に入れては、私に舐めさせてくれた父でした。兄たちや弟には舐めるのは禁止にしていたのです。

子どもたちは、私が、トーストしたパンに、タップリとバターを塗るので、健康維持のためにでしょうか、『多過ぎるよ!』と注意してくれるのです。そうしてしまうのは、バターの味が、私の人生や脳や記憶に、インプットされているからなのでしょうか。今朝も、タップリと・・・・・!

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ほろほろと

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季節に「音」があるのでしょうか。小林一茶が、

ほろほろと むかご落(ち)けり 秋(の)雨

と詠んでいます。「むかご」は、〈零余子〉と漢字で表記しますが、山芋の蔓になる「実」で、食用として食卓にのることもあります。

林の中の蔓に見付けて、手で摘んだことがあります。頬張って食べた記憶もありますが、茹でて食べるのが一番で、秋の味覚の一つでもあります。山芋を〈自然薯(じねんじょ)〉と言ったりします。

オリンピックのマラソン競技を、札幌で行うと聞きましたが、前回の「東京オリンピック(1964年)で、円谷幸吉が健闘して、《第3位》で、銅メダルに輝いたのを思い出します。私の上の兄と同じ年の生まれでしたが、メキシコ大会での活躍が、過剰に期待されていましたが、腰痛などで、その期待に耐えられず、自らの命を絶ってしまったのです。

責任感も強かったのでしょうか、〈挫折体験〉についていけなかったのかも知れません。人生の重大な決断を、自ら下したスポーツ選手の一生として、重いものがあります。彼の遺書は、次の様な一節で始まっていて、その文面が残されています。

『父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました』

とです。彼の出身の福島県須賀川では、「三日トロロ」と言うのでしょうか。『「三日とろろ」は、お正月の三日目に、長寿や健康を祈願してとろろ汁を食べる風習です。山芋には整腸作用や滋養強壮作用があるとされることから、お節料理のご馳走に疲れた胃をいたわる効果もあります。(ヤマサ醤油のレシピ)」とあります。

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今頃でしょうか、母がよく作って食べさせてくれました。手伝いで、摩った長芋を、摺鉢の中に入れ、〈摺りこぎ棒〉で摺ったのです。そこに、母が作った〈だし汁〉を入れて合わせていました。麦飯の上にかけて、ツルツルと飲む様に食べたものです。円谷にも、私にも、美味しい夕食だったのです。これも《お袋の味》で、どんな料亭の「とろろ汁」もかなわない味でした。

「ほろほろ」の音は想像の音でしょうけど、そう聞こえてきそうな情景が浮かんできます。山椒の木の枝で作られた、イボイボの〈摺りこぎ棒〉が、摺鉢を擦る、「ゴロゴロ」の音が、秋を秋らしく思い出させてくれる、ちょっと物悲しい曇り空の晩秋です。

マジカルキッチンからとろろ汁ご飯、“ photohito ” の零余子です)

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