銀杏

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家内の入院当初は、獨協医科大学病院の病院棟と駐車場の間を走る道路には、まだ幕内の正月でしたから、枝だけの銀杏並木だったのが、春には若葉が芽生えていました。その葉が、今や黄色く色づき、落葉し始めていた、昨日の通院でした。

美事な銀杏並木は、獨協名物で、構内の春の桜と共に、季節を感じさせられて、病院職員も患者さんも、何となく物思いにふける晩秋でした。もう一二週間で、医師や教師や坊さんが走る「師走」になろうとし、2019年も暮れ様としています。

昨日は、二桁目の化学治療の投与が、家内に行われ、無事に通院治療がすみました。最近は大きな変化がありませんが、徐々に体重も増え、食欲もあり、一人で散歩がてら、近くの郵便局や「なにわ寿司」のお店に、昼食にと買い物にも行く様になって来ています。

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帰りが遅いので、心配になって迎えに行きましたら、行き過ぎようとしていた陶器屋の中から、家内に呼び止められてしまいました。お店のおばさんと談笑していたのです。〈人と話をしたい〉のだそうです。そんなこんなで、穏やかな日を過ごしております。

訪ねて来る息子たちに、〈眼を細め〉ている様子を見ていると、まるで苦くない《良薬》になっているかの様で、お腹を痛めて産んだ子たちは、闘病中の家内には、最も嬉しい訪問の様です。多くの人に支えられ、応援されて、今年が暮れゆこうとしています。溢れる感謝の日々です。

(下の写真は、2階のレントゲンの待合室から撮ったものです)

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ことば

.あんなに大きな船を右左に、向きを変えることができるのは,小さな「舵(かじ)」です。通常は,水の中に潜っていて、人の目に触れることはありません。戦艦だろうが、重油タンカーだろうが、舵の向き一つで、進路が変えられるのですから、船乗りは,その《舵の役目》の大きさを熟知しているのです。

子どもの頃、父の机にあった、モールス信号機に、強烈な興味を、私は持ちました。無線で、要件を届けることができると言う機械装置の不思議さに圧倒されてしまったのです。それで無線通信士になろうと思いました。それには,船に乗るのが一番でしたから、船や海にも、果てしなく関心が向けられていました。木製の船の模型のキットを買っては、作ったこともあるほどです。

船の舵と同じ様に、人間の「舌」も大きなことをするのです。私の愛読書に、「舌は小さな器官だが、大きなことを言って誇る。」と書いてあります。そして、「舌は火であり、不義の

世界だ。」とも言っています。さらに、『人は,この舌を正しく制御できないこと』についても触れているのです。そういえば、言葉で失敗する人って、どこの国でも、結構多いのではないでしょうか。

戦後日本の舵取りして、名相と言われた吉田茂総理大臣でさえも、国会・衆議院を、口を突いて出た一つ言葉で、解散しなければならなかったのです。質疑応答の折、西村栄一議員の言葉と態度に怒ったのでしょうが、自席の帰り際に、小声で、『バカヤロー』と言った言葉を、マイクロフォンが拾ってしまって、小声では済まされなくなって、結局、衆議院が解散したのです。1953年のことでした。

『あの一言を、言わなければよかった!』と思っている人は,大勢いらっしゃることでしょう。人間の舌、語りだされる言葉は,実に影響力が大きい様です。東日本新大震災と、原発の事故で、福島から横浜の小学校に転向しなければならなかった少年に、バイキンというあだ名をつけたり、保証金があるのだからと、『お金を持って来い!』と言われ続けた、《いじめ体験》を記した手記が、あの頃問題になっていました。

この子は、不登校を続けていたのですが、こんなことも書いています。『いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた!』と。故郷ではない横浜で、いじめに潰されないで、健気に生きている少年がいたのです。

小学生のいじめに、《大人の不用意な言葉を、家庭やどこかで聞いて、学校でオウムの様に語る》、こう言ったことが背後にありそうです。誰にでも起こりうることを、自分の問題として引き受けられないことが、こう言ったいじめを生みます。

この手の《言葉の暴力》は,どこにでも、限りないくありそうです。《不義の世界》、舌を正しく使える本物の人間に、人は育たなければなりませんね。「言葉は剣(つるぎ)」となることが多々あるのです。

(〈剣〉の様な形のペーパーナイフです)

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