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先日、出先で、一人のご婦人 とお話をしていました。家内は、隣で他の方と話をしていて、途中から、私たちの話に加わってきたのです。近くに住んでいるご主人のお母さん、「姑」との関係についてでした。結局のところ、どんなに素晴らしい姑でも、それは、どうすることもできない、《母親の性(さが)》なのでしょう。はっきり言ってしまうと、<夫の母親は嫁が気に食わない!>のです。時の古今、洋の東西を問わない、繰り返され続けている諍(いさか)い、不協和音です。
自分のお腹を痛めて産んだ息子に、最善の嫁を願うのですから、どんなにできた嫁でも、<帯に短し襷(たすき)に短し>なのです。その「姑」も、嫁に来て、夫の母親に、そのように思われていた可能性が大きく、結局は、繰り返されて来た問題なのでしょう。時には、『うちの嫁は最高です!』と聞く事がありますが、お嫁さんの意見も聞かないといけませんね。
お姑さんの好物を、時々届け、感謝や関心を示す内に、『この息子も私に似た息子だし、まあいいか!』になるのを、忍耐して待つことなのでしょう。このご婦人も、一人っ子の息子が結婚した時、同じ思いになるのではないか、とおっしゃっていました。
歩くのもやっとになっていたお婆さんを時々訪ねると、優しくって、いいばかりの方でした。でも、嫁に行った娘たちは、一緒に暮らしている、お兄さんのお嫁さんを、<鬼嫁>だと言うのです。陽の当たらない脇部屋に追いやってしまって、私たちが訪ねると、座敷に招き入れ、そこからお姑さんを呼ぶのです。
私は、訪ねる時、この兄嫁に同情を示して、その労を労う(ねぎらう)事にしていたのです。何かお土産を持参する時も、お嫁さんに、『何時もご苦労様!』と言う気持ちで渡したのです。この可愛いお婆ちゃんは、若かった時に、しっかり<姑業>をやって来たに違いないと見たからです。辛い思いをしてきて、ご長男に代を譲って、お嫁さんが、台所の主になってから、<仕返し>までもいかずとも、されたことを、少しはしてるに違いないと踏んだのです。
この関係は、他人が軍配を上げるわけにはいきません。先程、申しました様に、感謝や関心を向けて、愛を示す以外にないのでしょう。私の母と一緒に住まなかった私の家内でも、結構、姑の矛先(ほこさき)を感じていたようです。母には、『三男の嫁には!』と意中の嫁候補がいた様です。もし、その女性と結婚しても、やはり母の理想には程遠かったに違いありません。息子の母親とは、そう言ったものなのでしょうか。
この戦いは、『何処まで続くぬかるみぞ!』に違いありません。もちろん例外もあります。『うちの嫁は・・・』と訴える姑もいます。賢く、適当の距離を置く事なのでしょうか。姑が弱くなると、攻守が交代になるのかも知れません。もちろん、素晴らしい関係をお持ちの方々もおいでです。察するに、この地上には、嫁や姑の沢山の涙が零されてきた事は事実なのでしょう。
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