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人って、懸命に自分を守りながら生きているのでしょう。そうすると、周りが見えなくなって、利己的になって行く傾向があります。人のことを考えられないのではなく、じょじょに自分のことばかりに思いが向いてしまうのでしょう。世間でしょうか、世界が狭くなって、<閉じ籠り>がちになります。
自己保身は、孤独を深めてしまいます。思いは深くなりますが、考えが否定的に、厭世的に、批判的になっていきます。明日が見えなくなり、過ぎ去った日の出来事と、出会った過去の人だけが思い出されてきてしまいます。そういう時は、好いことを思い出さないで、辛いことや嫌だったことを思い出してしまうのです。人の記憶は、そう言った思い出したくないものを思い出させます。
そんな自分に気づかされたら、広い世界に飛び出したら好いのです。閉じられた環境から、思いっきり自分を押し出してしまったら好いのです。なかなか自分にはできないので、だれかが引っ張り出すか、押し出したら好い。いつもと違った土地で寝起きをし、違った空気を吸い、違った水を飲み、違った食べ物を食べるのです。そして、違った人たちと話し、交わり、人の語る言葉に耳を傾けたら好い。
どうでも好いことを話すのではなく、話の中心軸を自分から相手に変えるのです。特に、好かった人との出会いとか、出来事とかを思ったら好い。その時の光景、天気、そして人自身を思い出すのです。特に幼い日の素敵な出来事が好いかも知れません。そういうのって、記憶の中の宝物だからです。それは磨かれてなくて、角やヒビさえあります。そのままにして、手を入れないことです。
そうすると今までしたことのない行動が生まれ、感動が湧き出し、生きている充実感が出てくるからです。未来に思いが向けられ、そこでの再会の喜びを願うのです。空想ではなく、過去に現実の人との出来事が、思いを変えるのです。もしかすると、お父さんやお母さん、一緒に育った兄弟姉妹、親戚の人たちからの仕打ちを、赦したら好い。
今でも奴隷制度があるのです。ある人は、そんな過去の奴隷にされているからです。そんな呪縛を捨てて、自由で、開放された人として、自分の高価さを発見したら好い。溌剌と明日に夢をつないで、一日一日を生きたら好い。花は咲き、鳥は歌い、人は歌うのです。
そんな違った土地での生活の経験、いつもと違う空気を吸い、水を飲み、人と出会った経験が、戻って行く世界に帰る時に、きっと見る目が変えられてしまうからです。新しい発見や、永遠につながる希望が生み出されて、生きてる喜びを感じさせてくれることでしょう。生きてるって、楽しいことです。人って逞(たくま)しいのです。
("里山を歩こう"から「フタリシズカ」です)
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