いただきます!

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どこの国に行っても、その食卓で聞く事のない「ことば」が、二つあります。これまで韓国、中国、マレーシア、シンガポール、グアム、ハワイ、カナダ、アメリカ、ブラジル、アレゼンチンなどの国を訪ねましたが、そこでは一度も聞いた記憶がありません。それは、私が幼い日から、父と母の家で、食卓について、箸を手に、食べる前に、『いただきまーす!』と言い、食べ終わった時に、『ごちそうさま!』と言う「ことば」です。

私は、父が働いて、それで得た給与で買った食物を、母が調理してくれ、卓袱台(ちゃぶだい)にのった食事を食べる時に、そして食べ終わった時に、その「ことば」を言ってきました。『お父さん、お母さん、ありがとうございます。この食べ物を感謝していただきます!』という意味での『いただきます!』、『ごちそうさま!』なのです。そんな意味が分からない幼い時期から、兄たちがしている様にしたのです。今日でさえも、家内が作った食事、招かれた家で供される食事、レストランでの食事の時に、そう言い続けています。

ある方は、命ある物を、食事としていただくにあたって、肉や野菜の命に感謝しています。また、それに携わった人々への慰労や感謝をします。そしてある人たちは、万物の造物者への畏敬と感謝を込めて、そう言い続けてきています。《礼儀正しさ》を、こう言った形で表してきた、日本人の《美徳》なのでしょうか。この中国から、日本人は「礼」を学んで、生活の中に定着した「文化」をの一つなのでしょうか。

私が招かれたアメリカ人の食卓では、"Thank you!"がありました。招きと食事ともてなしへの感謝を、そう言うのです。これまで、『いただきます!』なしで、食べる事は、ほとんどありませんでした。まあお腹が空き過ぎて、食べ始めてしまった事はありましたが、《けじめ》をつけた生活こそが、日本人の使う「ことば」に表されているのです。

毎週の様に、多くの人と食事をとる事がありますが、自分の皿に食べ物を盛って、食卓に着くと、それぞれに食べ始めていくのに、初めは慣れずにいましたが、それが<中国文化>や<中国方式>なので、今では、それに従っております。でも、《けじめ》がないのは、まだまだ慣れません。<入学式>なしで学校が始まり、<結婚式>なしで生活を共にしてしまう様な生き方が難しいのです。

もう何日も前に、いただいた菓子折りや、食事に招いてくれ、その感謝をしたのに、その後、また会った時には、『先日は、ご馳走様でした!』とお礼を繰り返すのです。まず、こんな<二重の謝礼>をするのは、日本人だけです。もう、それが生活の一部に組み込まれてしまっていて、そうする事で、供した方も、受けた方も安心するわけです。これって<ムラ社会>の遺物なのでしょうか。

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