奥様会

image

こちらに、「奥様会」があります。これはご主人が日系企業の方や、こちらの方と国際結婚されたご婦人が、親睦をしたいとのことで始められた交わり会なのだそうです。中国語を喋れない方たちもおいでとかで、情報交換のためにも集まって、和気藹々(あいあい)、和気ワイワイなのだそうです。それで、もう何年も続けれていて、家内もいそいそと出かけております。

今週持たれるのは、<飲茶(やむちゃ)>の美味しい餐館だそうで、公共バスで、どう行くかを調べさせられました。日頃の思いを母国語で忌憚なく喋れる機会が、ご婦人方には必要なのでしょう。それでなくとも文化の違う外国で生活をしているのですから、それは好いことと大賛成して、家内を送り出しています。

まだ日本にいた頃のことですが、客人が来て、お昼を食べるために、ちょっとしたレストランに行きますと、ほとんどの席は、「奥様会」がもたれていました。ご主人は、コンビニ弁当を食べているというのに、けっこう値の張るようなプレートを前に、ワイワイガヤガヤと食べながら話しながら盛り上がっているのです。子育てや家事に明け暮れるご婦人方には、そう言った開放の時が必要なのだと公認されているのでしょう。

けっこう物分りの好い夫の私なのです。男がストレスを感じるように、ご婦人方も同じなのだと理解しているからです。ネット情報に「美食網」というのがあって、味と環境とサーヴィスの採点が載っています。一人前の経費まで書き込まれているのです。きっと美食情報は、この辺りからなのでしょうか。それともご主人が行って、『あそこ美味かったぞ!』と言われての奥様バージョンなのかも知れません。

この街でも、帰国される方が多くなっているのだそうです。妻子は帰国し、単身での滞在型に変わってきているのかも知れません。私たちは、この八月から<九年目>に入ります。「九」は、「久」の発音が”jiu”で、「永久」と言っためでたい数字なのです。すっかり私たちは慣れてしまって、帰りたくない気分になっております。

今朝は、家内が買い物に行ったので、掃除をしようと、マットを玄関ではたいていたら、ドアが閉まってしまいました。鍵も携帯もお金もなく、締め出しを喰ってしまったのです。仕方なく1時間半も、隣のアパートの下にあった籐椅子に座ったりして、家内の帰りを待ったのです。初めてのことでした。「奥様会」の日でなくてよかった!

(写真は、”百度”から、中国の子どもたちです)

感情

image

『親分、ポリ公の野郎が来やがりましたぜ!』と、手下が報告しました。泥棒にとって天敵の警察官には<ポリ公>と言い、来ることも<来やがった>と、蔑みの言葉を使います。しかし、自分の上に立つ頭には、たとえ泥棒でも、<親分>とか<・・・ました>と敬意を表すのです。これは、日本語を特徴的に言い表している、好い例文だと言われています。「敬語」の使い方は、日本語を学ぶ人にとっては、実に難しい学習点だそうです。そういえば、日本の最近の若い人たちは、なかなか使いこなせないのだそうです。それで世代間の軋轢が生じてしまうのかも知れません。

何十年と喋り続けてきた自分でも、日本語は独特で、面白い言葉だと思うのです。東京新聞の「筆洗」というコラム欄に、こんな言葉が散り上げられていました。『でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか!』とです。これを読んでみて、前半では、<おっしゃった>と言い始めたのですが、相手が先ほど言った言葉を翻して、他のことを言ったことを赦せなくなったのでしょうか、後半では、<じゃねえか>と荒い口調と非難を込めて語り継いでいるのです。心の動きが読んで取れて、なかなか面白いなと感じたのです。

しばらく我慢していたのでしょうか。その緒が切れてしまって、そう言ってしまはねば、気が収まらなくなかったのでしょう。兄貴に狡いことをされたので、それを抗議しようとして、下の息子が、『お兄ちゃんは・・・』と言い始めたのですが、<お兄ちゃん>に変わる侮辱語を学んでいないので、何時ものように、尊敬するお兄ちゃんに対して使っている時と同じ呼びかけをしてしまったのです。もう少し大きくなると悪い言葉を覚えたり、<ちゃん>だけを省いて、<おにい>がとか言ったりするのでしょうが。

中国語にも、そんな言い回しがあるのかも知れませんが、人の語る言葉に添えられている<感情>は、聞いていてすぐに分かってしまいます。尊敬語を使いながらも、敬意が籠っていないしゃべり言葉を聞いて、この方の相手への気持ちの程度が分かってしまうのも、実に面白いなと、先日感じ入ってしまいました。感情や思いは、なかなか誤魔化せないようです。『つい言葉が滑って!』と言うのも、その類でしょうか。自分の感情にも気を付けなくてはと思う、週の中日の朝であります。

(漫画の表紙は、日本文芸社・立原あゆみ作のものです)