感情

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『親分、ポリ公の野郎が来やがりましたぜ!』と、手下が報告しました。泥棒にとって天敵の警察官には<ポリ公>と言い、来ることも<来やがった>と、蔑みの言葉を使います。しかし、自分の上に立つ頭には、たとえ泥棒でも、<親分>とか<・・・ました>と敬意を表すのです。これは、日本語を特徴的に言い表している、好い例文だと言われています。「敬語」の使い方は、日本語を学ぶ人にとっては、実に難しい学習点だそうです。そういえば、日本の最近の若い人たちは、なかなか使いこなせないのだそうです。それで世代間の軋轢が生じてしまうのかも知れません。

何十年と喋り続けてきた自分でも、日本語は独特で、面白い言葉だと思うのです。東京新聞の「筆洗」というコラム欄に、こんな言葉が散り上げられていました。『でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか!』とです。これを読んでみて、前半では、<おっしゃった>と言い始めたのですが、相手が先ほど言った言葉を翻して、他のことを言ったことを赦せなくなったのでしょうか、後半では、<じゃねえか>と荒い口調と非難を込めて語り継いでいるのです。心の動きが読んで取れて、なかなか面白いなと感じたのです。

しばらく我慢していたのでしょうか。その緒が切れてしまって、そう言ってしまはねば、気が収まらなくなかったのでしょう。兄貴に狡いことをされたので、それを抗議しようとして、下の息子が、『お兄ちゃんは・・・』と言い始めたのですが、<お兄ちゃん>に変わる侮辱語を学んでいないので、何時ものように、尊敬するお兄ちゃんに対して使っている時と同じ呼びかけをしてしまったのです。もう少し大きくなると悪い言葉を覚えたり、<ちゃん>だけを省いて、<おにい>がとか言ったりするのでしょうが。

中国語にも、そんな言い回しがあるのかも知れませんが、人の語る言葉に添えられている<感情>は、聞いていてすぐに分かってしまいます。尊敬語を使いながらも、敬意が籠っていないしゃべり言葉を聞いて、この方の相手への気持ちの程度が分かってしまうのも、実に面白いなと、先日感じ入ってしまいました。感情や思いは、なかなか誤魔化せないようです。『つい言葉が滑って!』と言うのも、その類でしょうか。自分の感情にも気を付けなくてはと思う、週の中日の朝であります。

(漫画の表紙は、日本文芸社・立原あゆみ作のものです)

 

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