八ヶ岳の麓で

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中央自動車道を信州諏訪に向かって、東京方面から走って、甲府盆地に入ると、眺望が開けます。目の前に見えてきて、徐々にその全貌が迫ってくる山があります。そう「八ヶ岳」です。

上の兄の友人たちの仲間に入れてもらって、この八ヶ岳の麓に、泊りがけで出かけたことが度々ありました。それを、「打ち合わせ会」と言っていたのです。話し合いがあるのは確かなのですが、そればかりではありませんでした。この仲間内の共通の趣味が、<テニス>だったのです。テニスボールを打ち合うところから、そう命名されたようです。

中年になり、それぞれが社会的に責任のある立場にあったのですが、冠や鎧を脱いで、まさに<テニス小僧>になっていたのです。<オッちゃん顏>なのに少年のように、嬉嬉として球を打ち、球を追いながら、行動と時を共有したのです。春と秋の週日に、二泊三日の<小さな贅沢>をしました。宿泊代の安い市営施設を見つけては泊まり、他に人のいないコートでの三日間の<テニス漬け>は、忘れられない日々だったのです。

一緒に過ごした方の内には、すでに天のふるさとに帰って行かれた方もおいでです。うまく打ち返せた時の『ナイス・ショット!』の掛け声が耳の奥に聞こえてきそうです。合間に、果物やお菓子を分け合い、まるで<おっちゃんの遠足>そのものでした。温泉に浸かり、近況を分かち合い、やがて孫の話も花咲くような時にもなって行きました。

交わりの知らせが来なくなって、どのくらい経つでしょうか。ある方は、病んで入院をし、手術をされたと聞いています。狩人が、猟をしない時には、弓の弦を緩めるように、人には、緊張を緩和する時が必要なのです。あの様な時があって、今日があるのだと思い返しながら、感謝の思いで、一緒に打ち合わせたお一人お一人の顔を思い返しております。

今のところ、常備薬を飲むことなく、ただビタミン剤を飲んでいる日々ですが、いつかは不調を感じる時がやってくるかも知れません。その時には、逆らわないで、『その不調と共に生きて行きたい!』と、弟の助言を読んで、そんなことを思っております。今日は、22度、昨日より10度以上も低い気温の華南の一日であります。

(写真は、WMによる八ヶ岳です)

悪戯ごころ

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中学校に入学した時、バスケットボール部に入部しました。担任は反対でした。練習は、高校と一緒でしたし、部室や体育館には、高校生や、卒業した大学生や社会人が出入りして、柄が良くない伝統があったからだったのです。担任は、良い大学合格を目指して、6年、勉強一筋で行って欲しかったのですが、自分の意思を通したわけです。長兄が陸上部、すぐ上の兄が野球部に入っていましたので、三男坊の私も、それに準じて入部したのです。

案の定、やはり柄が良くありませんでした。それ以降、いろいろなことを教え込まれることになったのです。そんな中で覚えさせられたのが、「軍隊小唄」の替え歌でした。

○○良いとこ 誰ゆうた
櫟ばやしのその中に
いきな学生がいるという
いちどは惚れてみたいもの

都立公立古臭い
同じ行くなら○○へ
○○健児は色男
いちどは惚れてみたいもの

肩のカバンにすがりつき
連れていきゃんせ○○へ
連れて行くのはやすけれど
女は入れない???

ごめんなさい。もう何十年もたってしまい、歌詞を忘れてしまいました。毛も生えていない中一が、「○○男児」になるために、「男っぽくなること」に思いと生活を向け始めたわけです。そんな中学生活を始めた私は、中高と6年間、電車通学をしていていたのです。駅まで歩き、ホームに上がり、電車に乗り込むまで、父が、そっと後をつけていたことが何度もあったようです。私の後を、同じ電車に乗り込む、何人かの女学生が付いて来て、私の噂を何かしていたのだそうです。それを父が後からつけて、聞いていたのです。父が家に帰ってくること、その朝の噂話を報告してくれたことがありました。

まさか後ろに父が着いて来ていたことを、意識したことなどなかったのですが、男っぽくなろうとしていた私の行動を窺う、そんな<悪戯ごころ>が、父にあったようです。昨日、成績表を提出し、こちらの2013年度の仕事が終わりました。九月の新学年まで、夏季休暇となり、ちょっと身軽になった六月末の朝、そんな昔を思い出した次第です。

(写真は、”WM”から、通学駅の今の様子です)